人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

明るいニュースはないのかい

長い連休が明けた。ギリギリまで現実逃避しながらGW最後の夜は乗り越えたものの、やはり朝になってしまうと現実がのしかかる。僕はサラリーマンであり、家族を支える立場であり、働かなければ生きていけないという現実を。

ニュースアプリを見て感じた不満

と言いながらもまだブログを書くことで、ささやかな逃避を続けている。連休明けということで、明るい話題がいい。何がいいだろうか。とりあえずネットニュースを眺めてみる。

こうしてみると、ハッピーなニュースはほとんど無いということに気づく。これ、どうなんだろうか。やれ教師に休憩がないだの、アパートが燃えただの、誰かが誰かを殺しただの、イノシシが暴れてるだの…あぁ暗い!暗すぎる!限定的な暗いニュースを、朝から無関係の全国民に見せつけるんじゃない!

今や20〜40代は、3人に1人が電車内でスマホを見ているそうだ。

スマホ、読書に広告チェック?みんなが電車内でよくすること – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!

もちろんSNSやゲームの割合も多いだろうが、通勤電車となればニュースを見る割合も高いだろう。そこで朝から暗いニュースばかり見せつけられても、全然気持ちが上がらない。そうは思わないかサラリーマンの諸君。

明るいニュースを教えてくれよ

もちろん明るいニュースだけでは、問題意識が生まれないため、何事も改善することができず前に進めなくなる。しかし、ハッピーなニュースで人々の心を弾ませるのも、ニュースアプリができる1つの社会貢献なのではないか。

悪いことは拡散されやすいが、良いことは目立たない。それはよくあることである。しかし、これほどまでに人々がネットで繋がった時代、ハッピーなニュースは、探せばそこら中に転がっているだろう。

Yahoo!アプリやスマートニュースなどのアプリで、ハッピーチャンネルのようなものを作ってくれないだろうか。世の中って悪くないのかもなぁ、と思えるような光り輝くニュース群を見せつけてくれないだろうか。朝からそんなことを考えた。

心弾むものって何だろう

なんて考えたものの、例えば明るいニュースって何があるだろうと思って探してみると、なかなか難しい。今日ざっと見たYahoo!ニュースの中で、心が弾むようなポジティブなニュースは…「座れる通勤列車が増えている」ぐらいか。微妙すぎる…。大して弾まん。そんなことより今すぐ僕を座らせてくれ。

誰かが結婚したとか、出産したとかいうニュースは、明るいとは言え、関係ない人には興味を持たれない。何だろう、心弾むニュースって。「今日から日本国民は働かなくても生活費支給します」とかかな。全力で弾むね。弾みすぎて破裂するかも。

現実逃避はこれぐらいにして、働いてきます。頑張りましょうサラリーマンの皆様。

「ゲス不倫」の当事者の話を聞いて

「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さんが、「ワイドナショー」というテレビ番組に出演していた。前日から、「明日のワイドナショーに川谷絵音が出演する」とTwitterでも話題になっていた。理由はもちろん、不倫の話題になることが想定されたからだ。

個人的には、不倫なんて他人が口出しすべきではないと思うのだが、あの渦中にいた本人が当時のメディアに対してどのように感じていたのかは、聞いてみたかった。個人ブログも言ってみればメディアの一部なので、その辺りの扱いには普段から興味がある。

メディアの作り出すイメージの恐ろしさ

番組を見る限りでは、川谷さんは意外としっかりした人だな、という印象を持った。擁護するわけではないが、「ゲス不倫」という単語から想像されるゲスなイメージとは違い、芯の通った人に見えた。メディアが作り上げるイメージは恐ろしいなと実感した。

マスコミは、よく「マスゴミ」と揶揄されるほどプライバシーを気にしない。メディアは、人を人とは思わないような報道を繰り返す。

その視聴者となる大衆も、報道対象に非があるとわかるやいなや、メディアのノリに同調する。その大衆を盛り上げようと、メディアはさらに過激な内容を投下する。結果として、本人のいないところでイメージが膨らみ続ける。

僕は、スキャンダルがある度に発生するこの流れが嫌いなのだが、そういう報道を好物にするワイドショー好きな人がたくさんいる以上、避けられないのだろう。

インターネットによる、殺伐とした世界

そしてこの動きは、インターネットが普及されたことでさらに助長された。報道の仕事をしていなくても、ブログやTwitterなどのSNSで、誰でも意見を述べたり拡散したりすることができる。結果として、発信することに慣れていなかったり、誇張しすぎることに抵抗のない一般人も、メディアの一部となった。

一般人がもう少しリテラシーを持てれば、メディアで作り上げられる異常なイメージも多少はマシになると思うのだが。川谷さんは毎日「死ね」と言われたり、殺人予告が来たりすると言っていた。不倫したとは言え、全く関係のない人間から、そこまで悲しいことを言われるなんて、さすがに殺伐としすぎている気がする。

週刊文春より非道なネットニュース

そんな内容に関連して、川谷さんのコメントの1つで、気になったものがあったので紹介する。

週刊文春ではちゃんといい感じで書いてあったが、ネットニュースでは変なところだけ切り取られた

一連の不倫騒動について我先にと記事に仕立て上げていた「週刊文春」。川谷さんが心の拠り所がない程落ち込んでいたときに、その週刊文春の記者に全てを話したそうだ。

それはもう、記者への相談に近かったという。すると、週刊文春はいい感じに書いてくれたが、それを拾ったネットニュースでは変なところだけ切り取られたそうだ。ネットではより多くの人にシェアされるように、誤解を生むような誇張した内容にしたのだろう。

個人的には、「週刊文春は酷い雑誌だ」というイメージがあった。人の不幸を食い物にして稼いでいる嫌な雑誌だと思っていた。

しかしこの件で見ると、もっと酷いのはネットニュースだったようにも受け取れる。「誰でも自由に使える」というインターネットの大きなメリットは、「信頼性のなさ」という大きなデメリットを産んでいると言える。

当たり前のことを、当たり前に

こういう状況を見ると、誰もがネットでノーリスクで儲けられるアフィリエイトやアドセンスの仕組みが、ネットの未来に悪い影響を及ぼさないだろうかと不安になる。しかし根本的には、悪いのはそれらの仕組みではなく、ネットを使う人間そのものにある。

不倫は良くないが、嘘や誇張し過ぎも良くない。技術の進歩に伴い凄まじい速さで発展してきたネット社会だが、それを使いこなす人間は、そんな当たり前のことすら、まだできていないのかもしれない。

LINEみどりくじで選ばれる10人

「LINEみどりくじ」なるものが送られてきた。LINEユーザーなら誰もが送り合える宝くじだ。なんと最大100万円を、送り手と受け手が半分ずつゲットできるという。

何もしてないのに、50万円が舞い込んでくるわけだ。毎日真面目に生きていれば、たまには良いことがあるものだ。神様は、しっかり僕らを見ていらっしゃる。ありがとう神様。


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ハズレた。

10人の親密な友達という壁

ところでこのくじは、送り手にもメリットがある。誰かに送れば、自分が50万円ゲットできるかもしれないわけだ。となると、できるだけ多くの人に送りたい。しかし送れる人数は「10人」と決まっている。この10人という枠が、僕を悩ませる。


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当たれば送り先にも50万円のプレゼントになるわけだから、そこそこ親密な人に送るのが普通だろう。しかし送られた側は「10人に選ばれた」ということを意識することになる。「え、俺コイツの親密な仲間トップ10に選ばれたのかよマジかよ」なんて思われたら、この先顔を合わせられない。

結果、家族と、ほんの一部の友達にしか送れない。「俺はコイツのトップ10に入って当然だろう」と思ってくれる友達は多くない。LINEみどりくじは、そんな悲しい現実を僕に見せつける。当たりもしないくせに、悲しみだけを運んでくる。

お互いに得するサービスを使いこなそう

このように、送った人と送られた人、紹介した人と紹介された人が、共にメリットを受けられるサービスは意外に多い。配車アプリの「Uber」や、そこから派生した出前アプリの「UberEATS」なんかも、お互いに2000円ぐらいの無料クーポンが貰えたりする。

どちらも首都圏のみであり、僕の家は利用エリア外であったが、利用エリア内に住んでいる人は使ってみるといいだろう。タダでタクシーに乗れて出前も取れるのだから、使わないと損である。

ちなみにホリエモンは、UberEATSのクーポンだけで37万円分貯まっているそうだ。どうやらクーポンコードをツイートするだけで貯まるそうで。全く、これだから有名人は。ねぇ。

持ちつ持たれつ生きていこう

そういえば「はてなブログ」でも、ブックマークし合ったり、星を付け合ったりする慣習があるようだ。確かにこの世は持ちつ持たれつなのは十分理解しているし、僕もたまには恩返し的なこともする。しかし、僕はあまり興味のベクトルが違う記事に対しては、ブックマークする気にはなれない。

せっかくなら、「これ面白い!」と心から思った記事にコメントしたいし、書いた方もそうして欲しいと思うのだ。「この前ブックマークしてくれたから、お返しにブックマークしてあげる」という馴れ合いが続くと、お互いダメになってしまう気がする。

また、ブックマークはまだしも、「星」をつけるのは、あまり意味がないように感じてしまう。星はいわゆる「イイね」の印だと思うが、これはブログには少し合わない気がしている。

TwitterやFacebookぐらい軽いものであれば「イイね」程度の意思表示でもいいと思うのだが、長々と書いたブログの記事1つに対して「イイね」では、どこに対してどう感じたのかが伝わらず、モヤモヤする。気にしすぎだとは思うが、気になってしまう。

もちろんこれは個人的な考えであり、「それがモチベーションになるんだ」という人もいるだろうし、それを否定するものではない。むしろその方が、持ちつ持たれつという、人間らしい美しい考え方なのかもしれない。それでも、本当に面白いと感じたものを賞賛し合うことが、ブログをより面白くする近道だと思うのだ。

学生たちの非効率な募金活動

駅前などで、募金を募る学生が横並びになって「募金よろしくお願いしまぁぁす!」と言っているのをたまに見かける。あれ、前々から思っているが、もう少し効率のいい募金方法はないのだろうか。

募金しにくい雰囲気

というのも、明らかに「募金しにくい雰囲気」 がプンプンなのだ。学生服の男子5、6人が必死に叫んでる中、まんまと募金しに行こうもんなら、確実に注目の的になる。その学生からはもちろん、周りの人からも視線が集まること間違いない。

相当な目立ちたがりでもない限り、その時点で既に恥ずかしい。さらに、お金を入れた瞬間「ありがとうございまぁぁす!!」なんて叫ばれようものなら、その場から逃げたくなる。顔を赤らめて逃げ出したくなる。募金額が10円だったりしたら死にたくなる。

壁を増やしてどうする

募金する側には、インセンティブがない。強いて言えば「社会貢献した」という自己満足感ぐらいだろう。逆に「お金が減る」という大きなマイナス面がある。募金してもらうには、その壁をクリアしてもらう必要がある。この時点で相当のハードルである。

なのにその学生たちは、「お金が減る」に加えて「恥ずかしい」という新しい壁を作り出してしまっている。すると、「募金してもいいけど、恥ずかしいからやめとこう」って人が少なからず出てくる。もったいない。効率が悪すぎる。

効率の良い募金方法を求めて

やるなら、いろんなパターンで試して、1番募金してもらえる方法を見つけた方が良いのではないか。学生の人数、声のかけ方やボリューム、場所、服装、男女比など、それぞれ変えれば結果が変わってくるはずだ。細かなところでは、コンビニにあるように、箱を透明にしてお札入れておくのも必須だろう。

あとはできるだけ募金しやすいように、Suicaで募金できるようにするとか。今時現金は流行らない。財布出すの手間だし、特に若い子は電子マネーに流れてきている。さすがに学生たちだけの力では難しいかもしれないが。

募金に励む学生の心意気は凄いと思う。貴重な自分の時間を割いてでも、誰かを助けようとしているのだ。だからこそ、非効率に使ってはもったいない。その辺りを、先生が指摘してあげるべきだと思うのだ。ガムシャラに根性だけで頑張るのはよくない。大勢、大声は逆効果だ(たぶん。違ったらすみません)。

個人的には、お金を持ったおっさんたちに対しては、美人学生2人ぐらいで狙い撃ちで声をかけるのが1番効率的な気がするがどうだろう。もしかすると、全員がバイトして稼いだお金を募金するのが1番早いのかもしれないが。

ゼルダの伝説を義務教育に?

今回はゲームの話。あまりブログにこの手の話は書かないのだが、久々に時間を忘れて熱中したほどのゲームだったので、たまには書いてみる。

ゼルダの伝説を教育に使う?

ゼルダの伝説BoWを義務教育で導入してはどうだろうか?

レジの待ち時間にスマホをいじっていると、こんなタイトルの記事が目に留まった。「ゼルダの伝説BoW」とは、任天堂を代表するゲーム「ゼルダの伝説」の最新作(Breath of the Wild)である。ゲームを義務教育に導入するなんてあり得ない。一般的には、そう思うだろう。

しかし、恐らく本作をプレイしたことのある人であれば、中身を読まなくても言いたいことはなんとなくわかるはずだ。その感覚は、このゲームが限りなく「自由」であることから来る。

上の記事だけでなく他のブログなどでも散々書かれてはいるが、このゲームの根底には、圧倒的な自由度の高さがある。知らない人向けに、雰囲気がわかるCM動画を貼っておこう。

 

いきなり「義務教育に」というのはさすがに極端だし、多少は冗談めいたものだとは思うが、この自由度の高さから少なくとも他のゲームと比べても学べるものは多いだろう。もう少し詳しく語ってみる。

他に類を見ないほど自由な世界

このゲームの最も大きな特徴は、オープンワールドの世界だ。オープンワールドとは、「舞台となる広大な世界を自由に動き回って探索・攻略できるように設計されたレベルデザインを指す言葉」だという(Wikipedia)。つまり、一本道ではなく、プレイヤーが自分で行動を考え、選択しながらプレイするものだ。

オープンワールドのゲームは他にもあるが、今回のゼルダはその中でも他に類を見ない程の素晴らしい出来栄えであり、日本でも海外でも絶賛されている。

ストーリーだけでなく、ダンジョンの謎解き、目的地までの移動手段、ダメージを受けたときの回復方法、寒さや暑さを凌ぐ方法など、あらゆる問題に対して様々な解決策があり、どれにするかはプレイヤー自身で決めることができる。

誰もがオープンワールドの住人である

この現実世界も、言ってしまえばオープンワールドである。どこに行こうが、何をしようが、法律さえ守っていれば自由だ。生き方は無数にあり、何をするにも正解はない。プレイヤーである僕ら自身が、様々な選択肢の中から選びながら生きていく。

しかしながら、昔ながらの慣習を大切にする大人たちは「大学を出て、サラリーマンとして1つの会社で一生働き続け、結婚し、車を買い、家を買い…」なんていう一本道ルートを勧めてくることが多々ある。

それは彼ら自身の過去の経験をサンプルにしたものであり、今の時代に合っているかどうかは別である。彼らは、そのルートがグッドエンドに向かうかどうかわかっていない。「今も昔も同じだ」という根拠のない勝手な感覚を持っていることが多い。

そういう意味ではこのゲームの方が、様々な生き方があることを教えてくれるという点で、まだ学びがあるかもしれない。何をするにも、選択肢はたくさんあるということに気づかせてくれるだろう。

…などと多少大袈裟には言ってみたものの、それほど良くできたゲームであることは間違いない。

僕らの人生は、僕らが選ぶ

そういえば別の方面からも、先日似たような思いを感じた。ゼクシィのCMに感動するというTwitterのまとめがある。そのCMのコピーは、

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです

というもの。結婚以外にも幸せになる選択肢がある今だからこそ、「結婚すること」にさらに意味が出てくる。幸せになりたいなら結婚すべき、という堅苦しい考え方にウンザリしている人の心にも刺さる言葉だろう。僕もグッと来て思わずツイートしたぐらいだ。

ゲームだけではなく現実の生き方そのものも、ますます多様化しているこの時代。誰に何と言われようと、選択肢を選ぶのは自分だということを忘れずに、楽しんでいきたいものだ。

納得できない、電車の遅延理由

「前を走る電車が遅れているため、この駅でしばらく停車いたします」という電車アナウンスをよく聞くが、毎回これに違和感を感じる。周りでそういう意見を聞いたことがないので、僕だけなのかもしれないが、せっかくなのでブログに書いておく。

納得できる遅延理由

まず、時間通りに目的地まで到着させるのが電車の役割なのだから、時間通りに着かないと乗客は納得しない。そもそもこの考え方が厳しすぎるのではないかという話もあるが、それは一旦置いておく。とにかく乗客からすれば、お金を払ってるんだから予定通りに着いてほしいわけだ。

そのため、遅れるのであればそれ相応の理由がないと納得できない。それ相応と言っても、別に難しいものではない。よくある「線路内への人の立ち入り」でも、「急病人の対応」でも、「強風による徐行」でも何でもいいのだ。「あぁ、それなら仕方ないね…」と思える理由があればそれでいい。

前の電車のせいにするだけでいいのか

しかしだ。「前を走る電車が遅れているため」と言われて納得できるだろうか。「前の電車も、あんたたちの会社が走らせてるんじゃないの?」と思ってしまう。「じゃあ前の電車は何で遅れてるの?」と考えてしまう。結局、遅れている理由がわからずモヤモヤする。

例えば普通の民間企業で、客への納期が遅れたときに、「先行していたプロジェクトの遅延により遅れました」なんて言って納得する客はいない。「なぜ遅れたんだ」「事前に防げなかったのか」「対策を考えろ」「根本原因は何だ」「横並び確認はしたのか」「再発防止はどうする」などという話になり、場合によっては賠償金が絡んでくる。

そういう目線から見ると、鉄道会社は甘い仕事してるんだなぁと思えてしまう。いや、別にそこまでの細かい報告は聞きたくないし、実際はいろいろ大変なんだろうと思う。あんなに大量の人間を毎日運んでるわけだから、見えないところで、とんでもない苦労をしているのは間違いない。面倒な乗客も山ほどいるだろうし、理不尽なクレームもあるだろう。

だとしても、そのアナウンス1つで、そんな印象を持ってしまうのだ。それがもったいないと思う。恐らく情報共有の仕方1つで、遅延理由なんてすぐに伝えられるはずなのに。

本当は何も気にせず許し合いたいんだよ

厳しいことを書いたが、僕は本当はそんな時間に厳しい社会が嫌いだ。電車遅延で駅員に怒鳴っている面倒な客を見るとウンザリする。僕自身、電車の数分の遅れなんて、正直あって当然だと思う。

理想的には、命に関わらないものであれば、大抵のことは遅れても許容し合い、のほほんと暮らせるような社会がいい。日々、納期に追われて残業するのはもう飽きた。

とは言うものの、人生は有限であり、お金が絡んでくる以上、ビジネスで何があってもお互いを許し合うのは難しい。これを読んでくれた大抵の社会人も、毎日スケジュールを気にして意識せざるを得ない生活をしているだろう。それが現実である。

ただしそれは、日本では、の話だったりする。海外では時刻通りに電車が来るなんてあり得ないという話も聞く。数分の遅延で謝罪するアナウンスを聞いて驚く外国人もいた。日本も、いずれは文化が変わり、もう少し時間を気にしないようになったりするのだろうか。

知らない人とLINEで話せるか

インターネット上では、知らない人と繋がることができる。Twitter、Facebook、Instagram、LINEなど、様々なSNSで、IDさえわかれば、見たことも話したこともない相手と会話することができる。

僕は普段メインで使うのはTwitterとLINEぐらいだ。Twitterは知らない人同士が簡単に繋がるが、LINEはそうでもない。仲の良かったり、関係が近い人、少なくとも1回は会ったことのある人と会話する場合がほとんどだろう。

公開用LINEアカウント

以前、「LINE@」というサービスが流行った頃、僕もブログで一時的に導入してみた。LINE@とは、情報発信用の公開LINEのようなものだ。いつも使っている個人アカウントとは別に作れるので、もちろん個人の素性は相手にわからない。

ブログにアイコンを設置すると、それをタップした人が普通にLINEでメッセージを送ってくれる。そのチャットは1対1なので、普通のLINEと変わりない。友達や家族とLINEするのと同じ感覚で会話できる。

1ヶ月ほど設置していただろうか。確か10人ほどフォローしてくれていたと思う。その中でも、3人がLINEで僕にメッセージを送ってきてくれた。

学生からのメッセージ

僕は当時、ジャンルを問わずブログを書いていた。そのため見てくれている人の世代は様々だったが、メッセージをくれたのはどれも学生だった。女子2人、男子1人。うろ覚えだが、2人が高校生で、確か1人が大学生だったような気がする。

メッセージの内容は、「こんにちは!○○の記事からきました!」のような感じだった。軽い質問はあったが、しばらく会話していると、何かを確認したいというよりは単純に雑談がしたいんだろうなぁ、という印象を受けた。

若い人は他人と関わる際の心理的障壁が低い上に、LINEで誰かと繋がることにもあまり抵抗がないのだろう。自撮りのアイコンになっているぐらい開放的だった。知らない人でもメッセージをくれるのは嬉しいものだ。

会話がベースのコミュニケーション

しかし、僕はしばらくしてそのLINE@の設置をやめた。単純に言うと「忙しかったから」なのだが、もう少し詳しく書いてみる。

「既読」機能や吹き出しの表現からもわかるように、LINEは会話ベースのアプリである。自分が話したことを相手が聞いているかどうか即座にわかる。

そのため、テンポ良く会話しないとLINEの良さは失われるし、毎回返事に相手を待たせていては話がなかなか進まない。その辺りが、メールのやり取りでは気にならなかったのに、LINEでは気になってしまう。

メッセージをくれたのは学生だったが、僕は働く身であり、当時は特に忙しく、返事できるほどの余裕がなかった。放置することも多く、その申し訳なさもあり、LINE@の設置をやめた。会話自体はすごく面白かったのだが。

程よい他人との距離感

そんな経験から改めて思ったのは、「他人との会話」においては、LINEは少し距離感が近すぎるということだ。お互い既読で返信がなくても気にならない程度の関係が築けていないと、どうしても気を遣ってしまう。暇ならずっと喋っていられるのだが。残念ながら社畜だし。

そういう意味では、Twitterはよくできていると思う。あくまで個人のツイートがメインであり、会話がメインではないから気を遣わなくていい。知らない人との距離感としては、ちょうど良いぐらいなのではないだろうか。

ここ2年ぐらいで「ソーシャルギフト」というものも流行っている。相手の本名も住所も知らなくても、アカウントさえわかれば、プレゼントを送れるというものだ。距離感を保ちつつ好意を届けられるという意味ではこれも面白いサービスだと思う。

個人そのものと、ネット上のアカウントは、これからますます境界が薄くなっていくはずだ。他人同士はより強く繋がることになるだろう。今までの距離感と、これからの距離感は変わっていくのかもしれない。その辺りのギャップを上手く埋めつつ、生きているうちに、多くの人と仲良くなっておきたいものだ。

ブログで儲けるなら

最近、ブログの広告収入で稼ぐ人が多くなってきた。ここ数年で、収支報告の記事を頻繁に見かけるようになった。そんな中、ブログで儲けることに拒否反応を示す人の心理、なんてのが話題になっているようだ。

ブログで儲けるのは悪いことか?

まず、ブログで稼ぐことは、もちろん法律違反でも何でもない。そういう意味では全く悪くない。しかし人の感情はそんなに単純ではなく、人によっては、記事に書いてあるように「ブログで儲けること」に対して無条件で嫌悪感を持ってしまう。

さすがに無条件で嫌われてはブロガーも可哀想な気もするが、そういう人がいるのは仕方ない。個人的には、「儲けているかどうか」はどっちでもよくて、ブログの記事の内容に「信頼性があるか」とか「どこにでもある内容ではないか」といったことが気になる。

どこかのブログを参考にして書いた、嘘スレスレの情報や、オリジナリティ無しのありふれた情報がインターネットに溢れると、全体的に情報が濁ったり薄まったりする。すると、情報を探している人が、本当に求めている情報に辿り着きにくくなるからだ。

そういうブログで「今月の収支報告!」なんて記事を見かけると、 確かに微妙な気持ちになる。

嫌なら見なければいい、はおかしい

嫌なら見なければいい、という言葉を聞くこともあるが、それは極論である。多くの人々がGoogleから検索して情報を探す以上、見たくなくても検索結果に出てきてしまうことはある。

例えば僕も、NAVERまとめのような見にくいサイトが検索結果のトップに来て、不快な思いをすることがよくある。あんなにダラダラと大きな文字で、さらにページを複数に分けて表示される情報寄せ集めサイトは迷惑でしかないと思っている。

それが個人ブログであっても、インターネットに投稿した時点で、意図せずとも見えてしまうのである。だからこそ、ブログを書く人は、その情報の出処は正確か?他の人が散々発信してきた情報じゃないか?といった観点で、自分のブログとして自信を持って送り出せる記事を書いてほしい。

他のブログでは見つけにくい情報や主張だったり、他の記事より読みやすい内容だったり、何らかの価値を付けた記事を書いているのに、「儲けること」に文句を言う人がいるのであれば、それは単なる僻みの可能性が高い。

それでも、価値なんて人それぞれ

とは言え、自分ではどれだけ価値があると思っていても、他の人にとって価値のあるものかどうかなんてわからない。人の判断基準は人それぞれだ。これは変えようのない事実である。

例えば以前、『信長協奏曲』のドラマが流行ったときのことだ。僕は第1話を見て面白かったので、すぐに記事を書いた。「織田信長 歴史」で検索されることを意識して書いたところ、検索結果のトップに出るようになった。すると毎週、ドラマの放送時間帯は、その記事だけで3000PVぐらい集まるようになった。

僕は別に歴史が好きではないが、色々調べて、「史実と同じか?」「このキャラは本当はどんな人物だった?」のような、みんなが知りたくなる内容をまとめた。僕にとっては価値のある情報を詰め込んだつもりだ。

しかし、歴史大好きな人からすれば、中途半端で稚拙な内容に見えたかもしれない。「こんな記事を検索トップに出しやがって!」と思われたかもしれない。「信長初心者が調子に乗りおって!」と思われたかもしれない。

つまるところ、他人の価値観なんてわからないのだ。「他人にとっての価値」を気にしていたら、誰もブログなんて書けなくなってしまう。

自分にとって納得のいく記事を送り出すこと

全ての人に気に入られる記事を書こうと思っても、それは無理なのである。世の中の全員に好かれる人がいないのと同じで、全員に気に入られる記事もない。

だからブロガーは、自分なりの価値を詰め込んで、自信を持って、納得の行く記事を送り出せばいい。自分が書きたい熱意を持っているのであれば、それを全力でぶつけて書けばいい。

それを否定されたとしても、それはその人の価値観でしかない。その人からは「何つまんねー記事書いて稼いでんだよ」と見えたとしても、「これは稼いで当然の価値ある記事だ」と思えれば、何も気にすることはない。僕はそう思う。

 

その無駄も、極めりゃきっと無駄じゃない

「なんて生産性のない会話だ。」

誰しも1度はこんなセリフを聞いたことがあるだろう。くだらない事を話している時に、ツッコミのような形でよく使われる。

基本的には人は無駄を嫌う生き物だ。いかに生産性を高くできるか、効率良く動けるか、常日頃から考えている人も多いだろう。

無駄なことを敬遠する大人たち

特に仕事では基本的に無駄を省くことが求められる。お金が発生している以上、いかに短時間で効率よく成果を出せるかは重要である。

同じようにプライベートも、自由とはいえ限りある人生なので、なるべく無駄はなくしたいもの。幼い頃は全く気にしなかったが、大人になるにつれてその気持ちは強くなる。

僕自身も、いつからか1日中ゲームするようなことができなくなってしまった。昔は何時間でも遊んでいられたのに、しばらくプレイしていると、「もっと生産性のあることをした方がいいかなぁ」という思いが湧いてしまうようになった。悲しいが、こういう人は周りにも多い。

しかし中には、何も生み出さないとわかりつつも、無駄なことを好んでやる人がいる。そしてその無駄が度を過ぎると、実は時に多くの人々の心を惹きつける。

無駄に惹きつけられる人々

例えば、この動画を見てみてほしい。最近流行りの「ゼルダの伝説」の最新作の一風変わったプレイ動画である。

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド、カッシーワを会せるという謎チャレンジ

このゲームでは、物凄く広い世界をシームレスで移動できる。上の動画は、とある街で立っているキャラを、体当たりしながら他の街へ少しずつ移動させるというものだ。本来は1体のキャラに様々な街で会えるという設定なのだが、移動させたことで同じキャラが複数同時に画面に現れている。

もちろんこれを達成したところで、ゲーム上何かが得られるわけではないし、プレイヤーとして素晴らしい名誉が与えられるわけでもない。そんな動画が、こうしてサイトに取り上げられ、話題になっている。

ひたすら時間をかけて意味のないことを実現した事実が、一部の人々の心に響いたのである。

無駄なことも、本気でやれば意味が生まれる

他の人にはできない何かをやりたい、なんて考える人は多いだろう。しかしこの広い世の中、大抵のことは既に先駆者がいるものだ。

そんなとき、無駄なことを極めてみる、というのも、1つの選択肢に考えてみてもいいかもしれない。1人よがりになり過ぎなければ、どんなことでも、きっと誰かが興味を持って見てくれるだろう。

僕の好きな番組の1つに、「水曜日のダウンタウン」がある。あらゆる説を勝手に検証する番組なのだが、この説がとにかく無駄なのだ。例えば「キライな食べ物も3日断食した後なら食える説」を検証するために、実際芸人が3日断食してみて食えるかどうかを確かめる。そんな結果がわかっても何の意味もないことを、真面目に検証していることに面白さがある。

ブログの世界であれば、「自分の大好きなモノも、1週間毎日褒め続ける記事を書いたら嫌いになる説」とか「根暗な人でも、毎日ポジティブな記事を書き続けたら明るくなる説」とか。意外と面白いのではないだろうか。

常に無駄を嫌う人は、どうしても余裕がなく見えてしまう。時には誰もやらないような無駄なことに時間を割いて、余裕のある人生を送ってみるのも良いのではないだろうか。

ローソンを効率的に使うサービス

最近、Pontaポイントをよく使う。僕のクレジットカードで貯まるのはリクルートポイントなのだが、Pontaポイントへ変換できるので、ローソンなどでも使える。最近は毎月4000ポイント近く貯まるので、定期的にローソンへ行って散財、というか散ポイントしてくる。散ポイ。

ローソンは好きじゃないのだが

僕はコンビニの中では、ローソンはあまり好きではない。3大コンビニで好きなのはセブン、ファミマ、ローソンの順だ。ローソンは、特にお弁当に魅力が足りない気がする。

魅力って何だよと言われると具体的に思いつかないが、なぜかローソンでは「これ食べたい!」と思える弁当に出会わないのである。僕だけだろうか。

最強のサービス「お試し引換券」

しかし、ローソンで唯一気に入ってるものがある。「お試し引換券」だ。非常に少ないポイントでビールやお菓子を購入できるサービスである。

例えば、今だと350mlの「のどごしスペシャルタイム」が60ポイントで買える。「ポイント=円」の価値があるので、60円。水より安くビールが買えるのだ。ちなみに「飲むヨーグルト(もも)」なら50ポイントである。

そんな素晴らしいサービスなのだが、残念ながら先着○名まで、という制約がある。Webで欲しい商品を見つけてローソンに行っても、目ぼしい商品は大体終了している。

Webでは終了したかどうか確認できないから、店舗に行くしかない。そうやってノコノコ店舗に行ったカモに、定価で商品を買わせる算段なのであろう。行くたびに少し悲しい気持ちになる素敵なサービスである。

優しさを忘れないで

確かに、売上を伸ばすのであれば、店舗でしか確認できないようにするのは正しい。ユーザーに優しすぎるサービスは、収益に結びつかないこともあるだろう。

ただ、このちょっとした欠点をなくせば、皆もっとローソンが好きになるのではないか。あの個性のないタヌキを愛でるのではないか。そのユーザーへの優しさが、一人勝ちしているセブンに勝つためのヒントになるのではないか。

そんなことを考えながら、今日も間抜けなカモとしてローソンに向かう。今日は散ポイできるだろうか。