人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

ハチミツとインターネット

ハチミツ入りの離乳食で乳児が死亡した事件をきっかけに、大手レシピサイトのクックパッドに批判が集まった。

ハチミツには気をつけて

「離乳食 はちみつ」で検索すれば100件以上がヒットすると聞いて、試しに検索してみると、こんな注意書きが出た。

「1歳未満の乳児に蜂蜜(はちみつ)を与えることは、乳児ボツリヌス症感染の危険性があるため、避けましょう。」

この事件をきっかけに追加されたのだろう。危険性については僕は初耳だったが、どうやら母子手帳にも書いてある当然の内容だそうだ。離乳食を作るときは絶対に気をつけてほしい。

あとどうでもいいが、僕も朝はよくパンにハチミツをかけて食べている。幸い2歳以上なので平気である。

インターネットの情報が薄まった?

ところで、この一件を受けて書かれたこんなエントリーを見つけた。

このエントリーでは、インターネット上への投稿が増えたことで「低品質な情報の氾濫、金銭収入のために量産される投稿の氾濫」が起きていると語られている。

これは僕も最近強く感じている内容であり、すごくしっくりきた。昨年末のDeNAの件も、アメリカ大統領選の件も、どこかの無責任な人たちが書いた投稿に世間が踊らされていた。

いつからか、様々なWebサイト、とりわけブログ業界ではそんな状態が続いている。

低品質でも高評価を受けられる実態

今のWebでは、良いものを作ったら高い評価を受けるだとか、大きなリターンがあるだとかいう、一見当然のような仕組みが通用しない場合がある。

投稿した情報が寄せ集めでも、ありきたりでも、信憑性がなくても、少し知識があれば簡単に高い評価を受けられてしまう。

この問題に対してはGoogleも手を焼いているようだが、そもそものWeb広告の構造を見直すとか、情報提供者を適切に評価する仕組みを作るとか、大きな変化がないと難しいだろう。個人的には、近年流行りのAIがこの先なんとかしてくれると信じているのだが。

低品質な情報へのニーズ

一方で、上の記事で気にされているように「間違った情報やどうしようもない情報を受け取るニーズがある」のも事実である。多数派ではないにしても、このようなニーズは存在する。

しかし需要があれば供給があるのは当然、というのは違う気がする。低品質な情報であれば、供給しないほうが良いし、受け取らないほうが良い。そのニーズを持つ人だって、低品質であることを求めているわけではないだろう。ニーズを満たす、他の高品質な情報を探せばいい。

そのためにはやはり低品質に対し適切に低評価を与える必要があるし、逆もまた然りである。

誰でも気軽に投稿できるインターネット

想像にはなるが、きっと今回のハチミツレシピを書いている人は、単純に「美味しいレシピを書いたから皆に作ってほしい」という気持ちで書いたのだと思う。

危険だと知りながらレシピを上げるわけがないし、お金儲けのために適当な情報をかき集めて、わざわざハチミツ入りの離乳食のレシピを投稿するとは考えにくい。単純に知らずに間違えたのだ(たぶん)。

かといって、確かな知識を持った離乳食の専門家のレシピしか見れないようにする、なんてのもおかしな話である。インターネットの投稿は専門性が重視されつつあるが、逆に今まで専門性を持たない様々な人たちの投稿によって、あらゆる情報が満たされてきた。

高品質を求めるあまり、インターネットを専門性で狭めた窮屈なものにはしてほしくない。一般ユーザーが気軽に投稿できて、誰もが欲しい情報を安心して得られる世界が来ればいいな。この一件で、そんなことを考えさせられた。