人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

「ゲス不倫」の当事者の話を聞いて

「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さんが、「ワイドナショー」というテレビ番組に出演していた。前日から、「明日のワイドナショーに川谷絵音が出演する」とTwitterでも話題になっていた。理由はもちろん、不倫の話題になることが想定されたからだ。

個人的には、不倫なんて他人が口出しすべきではないと思うのだが、あの渦中にいた本人が当時のメディアに対してどのように感じていたのかは、聞いてみたかった。個人ブログも言ってみればメディアの一部なので、その辺りの扱いには普段から興味がある。

メディアの作り出すイメージの恐ろしさ

番組を見る限りでは、川谷さんは意外としっかりした人だな、という印象を持った。擁護するわけではないが、「ゲス不倫」という単語から想像されるゲスなイメージとは違い、芯の通った人に見えた。メディアが作り上げるイメージは恐ろしいなと実感した。

マスコミは、よく「マスゴミ」と揶揄されるほどプライバシーを気にしない。メディアは、人を人とは思わないような報道を繰り返す。

その視聴者となる大衆も、報道対象に非があるとわかるやいなや、メディアのノリに同調する。その大衆を盛り上げようと、メディアはさらに過激な内容を投下する。結果として、本人のいないところでイメージが膨らみ続ける。

僕は、スキャンダルがある度に発生するこの流れが嫌いなのだが、そういう報道を好物にするワイドショー好きな人がたくさんいる以上、避けられないのだろう。

インターネットによる、殺伐とした世界

そしてこの動きは、インターネットが普及されたことでさらに助長された。報道の仕事をしていなくても、ブログやTwitterなどのSNSで、誰でも意見を述べたり拡散したりすることができる。結果として、発信することに慣れていなかったり、誇張しすぎることに抵抗のない一般人も、メディアの一部となった。

一般人がもう少しリテラシーを持てれば、メディアで作り上げられる異常なイメージも多少はマシになると思うのだが。川谷さんは毎日「死ね」と言われたり、殺人予告が来たりすると言っていた。不倫したとは言え、全く関係のない人間から、そこまで悲しいことを言われるなんて、さすがに殺伐としすぎている気がする。

週刊文春より非道なネットニュース

そんな内容に関連して、川谷さんのコメントの1つで、気になったものがあったので紹介する。

週刊文春ではちゃんといい感じで書いてあったが、ネットニュースでは変なところだけ切り取られた

一連の不倫騒動について我先にと記事に仕立て上げていた「週刊文春」。川谷さんが心の拠り所がない程落ち込んでいたときに、その週刊文春の記者に全てを話したそうだ。

それはもう、記者への相談に近かったという。すると、週刊文春はいい感じに書いてくれたが、それを拾ったネットニュースでは変なところだけ切り取られたそうだ。ネットではより多くの人にシェアされるように、誤解を生むような誇張した内容にしたのだろう。

個人的には、「週刊文春は酷い雑誌だ」というイメージがあった。人の不幸を食い物にして稼いでいる嫌な雑誌だと思っていた。

しかしこの件で見ると、もっと酷いのはネットニュースだったようにも受け取れる。「誰でも自由に使える」というインターネットの大きなメリットは、「信頼性のなさ」という大きなデメリットを産んでいると言える。

当たり前のことを、当たり前に

こういう状況を見ると、誰もがネットでノーリスクで儲けられるアフィリエイトやアドセンスの仕組みが、ネットの未来に悪い影響を及ぼさないだろうかと不安になる。しかし根本的には、悪いのはそれらの仕組みではなく、ネットを使う人間そのものにある。

不倫は良くないが、嘘や誇張し過ぎも良くない。技術の進歩に伴い凄まじい速さで発展してきたネット社会だが、それを使いこなす人間は、そんな当たり前のことすら、まだできていないのかもしれない。