わらまろぐ

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それ捨てるなら、もらっていい?

レンコンという野菜がある。漢字で書くと「蓮根」、文字通り蓮の根っこの一部だ。いつも思うのだが、あれが食材として成り立っていることにやや疑問を感じる。

レンコン農家の人には悪いが、個人的に全然好きではない。食べられないわけではないが、わざわざ買って食べるほどの魅力を感じない。

レンコンを食材に採用した不思議

あの穴の空いた地味な見た目、曖昧な歯ごたえ、たまに引っかかる繊維、何とも言えない味、どれを取ってもイマイチではないか。

たとえ僕が、まだレンコンが食用でない時代にレンコンを初めて食べたとしても、「あ、これ、食べてもイケまっせ!」なんて判断は下さないだろう。「あぁ、こんな味ね…」ぐらいの感想を呟いて迷いなく捨てる自信がある。

しかしながら今レンコンは、日本では普通に流通しており、一般家庭で何の疑問もなく食べられている。おせちでも使われているぐらいの地位を確立している。

しかも穴が多いから「先を見通す」として縁起が良いという。レンコンの穴で先を見通すという発想がもうヤバい。昔の人の「こじつけ力」には恐れ入る。

一見捨てられそうなものの活用

レンコンについて語ってしまったが、今回書きたいのはレンコンの未来ではなく、このような「一見捨てられそうなもの」の活用についてだ。

レンコンは欧米では食べないそうだ。ちなみにゴボウも、食べるのは日本だけらしい。欧米から見れば「よくあんなモン食えるなジャパニーズは…クレイジーだ」という感覚なのだろう。欧米で捨てられるものでも、日本では無くてはならない存在になりうるということだ。

つい先日ニュースで見たが、魚介類でも本来捨てていたものを活用する動きがあるようだ。ある漁場で、マイナー魚・未利用魚という「大きさが不揃い、量が安定しない、知名度が低い、鮮度が落ちやすい、調理が面倒」といった理由で流通しづらい魚を料理して出してみたところ、意外と評判が良く、注目が集まっているという。

他にも、スウェーデンではゴミを輸入して、エネルギーに変えているなんて話も聞いたことがある。他の国にとって捨てるものでしかないものを、わざわざ輸入するのだ。スウェーデンはリサイクル意識が高いと言うが、ゴミを輸入するほどとは恐ろしい。ゴミの分別を適当にしたら殺されそうだ。

僕らが日々出している、捨てるもの

これらの例を見ると、「誰かにとっては捨てるもの」でも「他の誰かにとってはお金を出してでも必要なもの」になることが、多々あることがわかる。では一般的な個人単位でも、そのようなものがないだろうか。

僕らが普段から捨てているもの。特に売買目的もなく日々吐き出しているもの。物理的なゴミ類は置いておいて、例えばTwitterのツイートや、ブログの記事なども、似たようなもののように感じる。広告収入にはなっても、記事を売っている人は多くない。

一般人がなんとなく書いた記事たちも、他の誰かにとっては、お金を出してでも買いたいという場合があるのかもしれない。レンコンやゴボウを買う日本人がいるように。マイナー魚が人気を博したり、スウェーデンでゴミが輸入されているように。

などと少し夢見てみたが、そもそも無料ベースのWebの世界ではそれはハードルが高いのは事実だろう。また、レンコンたちも、一定の特徴や旨味を持っているが故に買われるのだろう。社畜サラリーマンのブログでは、「他の誰か」を見つけるのは大変そうだ。

日々、面白いと思ってもらえるようにブログを書いているつもりだ。しかし他人がお金を出しても欲しいと言ってくれる程のものにするには、少なくとも何か大きな変化が必要である。まだその変化の仕方は見えていない。とりあえずスーパーにでも行き、レンコンの穴から未来を見通してみようか。