人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

情報過多のストレスに立ち向かうために

僕らが日々感じている様々なストレス。その形は、時代によって変化するようだ。スマホがいつも手元にあり、いつでも情報に触れることができるこんな時代だからこそ感じるストレスもあるという。

情報過多のストレスから“脱出”する、たったひとつの方法|WIRED.jp

プッシュ通知は「茂みからのカサカサ」

先日SNSがストレスになるというネタについて書いたが、今回の話はSNSだけでなく、ニュースなどの、誰もが日々取り入れている情報を対象にしたものである。

冒頭の記事をまとめると、「ストレスを減らすために、プッシュ機能をオフにしよう」というだけ。どうやらこの著者は、プッシュ通知が人間にとってストレスだと考えているようだ。本当かどうかは置いておいて、その理由を示した箇所を抜粋しておく。

遠い祖先が茂みから聞こえてくるカサカサという音に反応していたのと同じように、あなたはアラートに反応する。ふたつは異なる刺激ではあるが、脳はニュース速報のアラートと茂みに身を潜めるトラの違いを、本能的には認識しないのだ。

僕はスマホの通知なんて小鳥のさえずり程度にしか感じていないのだが、猛獣に襲われるのではないかと怯える人もいるようである。LINEが鳴る度にガタガタ震えている人がいたら、そういうことだと察してあげてほしい。少なくとも僕は、まだお目にかかったことはないが。

たまには他人との繋がりを絶つのも良い

しかし確かに、たまには情報から解き放たれて、ボーッとするのも気持ちがいいものだ。通知音は置いておいても、SNSは誰かと繋がるが故に、多少のストレスは避けられない。他人との繋がりを一時的に絶つのは、気持ちをリフレッシュする上で効果的なのは間違いない。

ただ僕の場合は、仕事で24時間動くシステムを管理している以上、常に電話を手放せない。だから心が休まらない。さすがにもう慣れたが、ここ3年はずっとそんな感じだ。そういえば、着信が鳴るたびにガタガタ震えているかもしれない。いた。震えてる人ここにいた。

本当は何も気にせず、スマホも何もかも置いて旅でもしてみたい。ビールのCMでよく見るような広い草原にでも行って、寝転がって本でも読みたい。そんで綺麗なお姉さんが隣に座ってきて、仲良くなったりしたい。「風が気持ちいいですね」なんて話しながらいい感じになったりしたい。

こんな小さな願いが叶わないのも、常に他人と繋がってるせいである。

止めるべきは、通知ではない

さて、AIやらIoTやらが発展し、それらは今後ますますパーソナライズされていく。機械は個人の好みを正確に把握し、それぞれに必要な情報を提供してくれるようになるはずだ。それが「通知」と呼べるものかどうかはわからないが、人々の生活に自然に入り込んでいくだろう。

昔は新聞で全ての記事全体が目に入ってきて、そこから読むものを選択していた。今はニュースアプリでタイトルだけを見て、自分が気になったものを選択して見ている。それが今後は、タイトルすら見ることなく、必要なニュースが流れ込んでくるようになる。

これはある意味、自然な流れである。きっとSNSも、AIが相性の良い人同士を繋げてくれるようになるだろう。草原で微笑んでいる綺麗なお姉さんと繋がれる日が来るかもしれない。

そんな通知を、茂みからのカサカサと同じ理由でストレスの対象として止めるのは、さすがにどうかと思う。通知そのものがストレスだと言うのなら、いかにそれを感じないように生活に溶け込ませるかを考えていくべきだ。

いつの時代も、流れを見て、変化する環境に応じた考え方ができるようになりたいものだ。