人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

毎朝、落ち着ける場所

毎朝出勤前に通っていたカフェが、先日突然閉店した。いや、関係者からすれば、ずっと前から決まっていた事実なのだろうが、僕にとっては突然でしかなかった。閉店の前日も普通にそのカフェで朝食を取ったし、店員にもそんな素振りは全く見えなかったので、衝撃だった。

彼女から、別れの言葉も告げられず、突然音信不通になったような感覚である。そんな経験はないが、きっとそんな気分だ。「ごめん、もう会えないよ」と一言あれば、別れを惜しむこともできただろうに。予期できなかった突然の別れに、平日の朝から少し切なくなった。

その日からいくつかカフェやファーストフード店を回っている。どこも冷房がキツかったり、店内がキレイでなかったり、席が狭かったりと、今のところ満足のいく店には巡り会えていない。今も冷え切った店内で、梅雨が明けたにも関わらずホットコーヒーを飲んでいる。正確には、サービス精神旺盛な冷房のお陰でとっくにホットではなくなったコーヒーだが。

ところで普段は、ニュースや世間の話題をネタにしてブログを書いているのだが、最近はそういう気分にならない。ネタにしようかなと思ったものはいくつかある。auの3がつく日のサービスが微妙だとか、時間を売買するサービス「タイムバンク」が面白そうだとか、個人的に買ったPlayStationVRの魅力だとか、そんなやつだ。

でも、きっと誰かが書いているそんな内容を僕が書いたところで、大勢の中の1つでしかないと気づいてからは、あまり書く意味を見いだせない。どうせ書くなら、僕にしか書けないものがいい。なんて考えていたら、別に書かなくてもいいか、と思うようになってしまった。ブログで生活しているわけでもないし、別に書かないことで誰も困らない。おかげで家族や趣味に使える時間が増えたとも言える。

今日は久々にブログを書いている。僕の日常だったり、抱えている思いだったり、そういうリアルで赤裸々なものであれば、個人で書ける面白いものになり得るだと感じ始めたからだ。

「個人のプライベートなんて興味ないよ」と言う人は多い。僕も、そんなに興味津々ではない。ただ、日常で悩みを抱えた人だとか、頑張って生きている人の抱えるリアルな思いを垣間見ると、自分も頑張ろっかな、なんて思うこともある。FacebookやInstagramを使うと幸福度が下がると言われるが、それはみんなの充実した生活を見せつけられるからである。それの逆パターンに近いかもしれない。

というわけで、もう少し高頻度で、日常を綴っていこうかな、なんて考えている。少なくとも週1ぐらいで。幸い、出勤前は割と時間がある。まずは毎朝の落ち着ける居場所を探すところからだが。