人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

誰もいない駅で感じた、繫がり

世間では記録的豪雨だとか大粒の雹だとか騒がれている割には、僕の周りはひたすら暑く雨の降らない日々が続いている。関東では水不足が予想されるというが、日々の国民の汗を集めて濾過すれば余裕で解消できるのではないかと思えるぐらい暑い。もちろんそんなの飲みたくないけど。

懐かしい街からの帰り道

そんな暑さの中、学生時代に過ごした街へ行ってきた。1泊2日という短い旅だった。今は帰りの飛行機に乗るために空港へ向かっている。うっかり違う方面の電車に乗ったことに気づき、とっさに降りた駅で僕1人、次に来る電車を待っている。駅には他に誰もいない。視界に広がるのは青い海ばかり。久々に嗅ぐ潮の香りが漂う。この駅を作る意味はあったのだろうか。そう思わせるほどの静けさである。

待ちわびた電車には、数人の乗客がいた。僕が乗り込むと、「こんな駅から乗ってくるの?」とやや怪訝な表情をする美人に一瞥された。1番奥の席に座り、ボーッと景色を眺める。空港までの数駅の間に、思い出のある施設がいくつか目に入ってきた。学生時代の彼女と来た動物園。入学式をした大きなイベントホール。10年経っても変わらないその風景に、懐かしさと物悲しさが入り混じったような気分を覚えた。

僕らは皆繋がっている

空港のある駅に着き、いつものようにSuicaをタッチして改札を出る。遠く離れた土地でも、同じカードで乗り降りできるその仕組みに、不思議な繋がりを感じた。「僕らは皆繋がっている」なんてよくあるセリフを、無人の改札から感じるのはどこか面白い気もする。

空港に着いて、予約していた搭乗券を出す機械に向かう。どうも購入したクレジットカードが正しく読み込まれない。問い合わせ担当と思われる綺麗なお姉さんが、すぐ近くで暇そうにしていたので聞こうかと思ったが、適当に画面を触っていると予約番号と電話番号であっさり解決してしまった。僕とそのお姉さんの人生は繋がっていなかったようだ。

何でも気の持ちようである

帰りの飛行機は、ほとんど寝ていた。1泊2日の旅とはいえそこそこハードで、2日とも昼から強くもないお酒を飲んだので、疲労と眠気でいっぱいだった。着陸10分前ぐらいに起きて窓の外を見ると、緑いっぱいの地面と、まばらに建つ家々が見えた。僕はいつも、一生行くことのないような田舎の街を見る度に、そこで生活している人にもそれぞれに人生があることを、どこか不思議に感じる。今回もそんな気持ちになった。

そうして東京に戻った途端、明日からの山積みの仕事を思い出した。出社するまでは気にしても仕方ないのだが、休み中でも憂鬱に感じることは時折ある。しかし旅行中は不思議なもので、そんな気分になることはめったにない。職場から距離が離れているだけで、仕事の悩みからも離れているような気分になるのは不思議なものだ。結局は、悩みなんて気の持ちようなのである。

さて今週もボチボチやっていこう

帰ってご飯を作るのも面倒なので、帰る途中の駅にあったラーメン屋で、味玉とんこつラーメンを食べる。味玉がめっちゃ柔らかい。店内で、少し物悲しくウィー・アー・ザ・ワールドがオルゴールバージョンで流れている。誰もいない家に帰る僕の寂しさを、代わりに表現してくれているような気がした。

今週も大変なことはたくさんあるだろうが、まあボチボチやっていこう。