人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

その無駄も、極めりゃきっと無駄じゃない

「なんて生産性のない会話だ。」

誰しも1度はこんなセリフを聞いたことがあるだろう。くだらない事を話している時に、ツッコミのような形でよく使われる。

基本的には人は無駄を嫌う生き物だ。いかに生産性を高くできるか、効率良く動けるか、常日頃から考えている人も多いだろう。

無駄なことを敬遠する大人たち

特に仕事では基本的に無駄を省くことが求められる。お金が発生している以上、いかに短時間で効率よく成果を出せるかは重要である。

同じようにプライベートも、自由とはいえ限りある人生なので、なるべく無駄はなくしたいもの。幼い頃は全く気にしなかったが、大人になるにつれてその気持ちは強くなる。

僕自身も、いつからか1日中ゲームするようなことができなくなってしまった。昔は何時間でも遊んでいられたのに、しばらくプレイしていると、「もっと生産性のあることをした方がいいかなぁ」という思いが湧いてしまうようになった。悲しいが、こういう人は周りにも多い。

しかし中には、何も生み出さないとわかりつつも、無駄なことを好んでやる人がいる。そしてその無駄が度を過ぎると、実は時に多くの人々の心を惹きつける。

無駄に惹きつけられる人々

例えば、この動画を見てみてほしい。最近流行りの「ゼルダの伝説」の最新作の一風変わったプレイ動画である。

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド、カッシーワを会せるという謎チャレンジ

このゲームでは、物凄く広い世界をシームレスで移動できる。上の動画は、とある街で立っているキャラを、体当たりしながら他の街へ少しずつ移動させるというものだ。本来は1体のキャラに様々な街で会えるという設定なのだが、移動させたことで同じキャラが複数同時に画面に現れている。

もちろんこれを達成したところで、ゲーム上何かが得られるわけではないし、プレイヤーとして素晴らしい名誉が与えられるわけでもない。そんな動画が、こうしてサイトに取り上げられ、話題になっている。

ひたすら時間をかけて意味のないことを実現した事実が、一部の人々の心に響いたのである。

無駄なことも、本気でやれば意味が生まれる

他の人にはできない何かをやりたい、なんて考える人は多いだろう。しかしこの広い世の中、大抵のことは既に先駆者がいるものだ。

そんなとき、無駄なことを極めてみる、というのも、1つの選択肢に考えてみてもいいかもしれない。1人よがりになり過ぎなければ、どんなことでも、きっと誰かが興味を持って見てくれるだろう。

僕の好きな番組の1つに、「水曜日のダウンタウン」がある。あらゆる説を勝手に検証する番組なのだが、この説がとにかく無駄なのだ。例えば「キライな食べ物も3日断食した後なら食える説」を検証するために、実際芸人が3日断食してみて食えるかどうかを確かめる。そんな結果がわかっても何の意味もないことを、真面目に検証していることに面白さがある。

ブログの世界であれば、「自分の大好きなモノも、1週間毎日褒め続ける記事を書いたら嫌いになる説」とか「根暗な人でも、毎日ポジティブな記事を書き続けたら明るくなる説」とか。意外と面白いのではないだろうか。

常に無駄を嫌う人は、どうしても余裕がなく見えてしまう。時には誰もやらないような無駄なことに時間を割いて、余裕のある人生を送ってみるのも良いのではないだろうか。