人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

VTuberが人気になる方法を考えてみた

「VTuber」をご存知だろうか。「バーチャルYoutuber」、言わばリアルの人間ではなく仮想(バーチャル)のアバターを用いた動画を、YouTubeで配信する人たちである。例えば「キズナアイ」というVTuberはメディアでも露出が増えてきているので、見たことがある人もいるだろう。

先日観たレディ・プレイヤー1という大作映画では、2045年に全世界の人々が、仮想のアバターを使って仮想空間を生きていた。現実的には映画と多少の違いはあれど、今後僕らは仮想空間で生きる時間が間違いなく増えていく。そんな未来に先駆けて、VTuberが人気になる方法を真剣に考えてみる。

VTuberが流行りだしたきっかけ

まずは、VTuberが生まれ、流行りだしたきっかけから追ってみる。そこから、人々は何を求めてVTuberという存在に魅せられだしたのかを考えてみよう。

VTuberの先駆者と言われるキズナアイが最初に動画を投稿したのは2016年12月1日。ずいぶん前だが、流行りだしたのはせいぜい2017年後半ぐらいからだろう。その盛り上がりには、何かきっかけがあると思われる。

と思い調べだしたところで、広い世の中、似たようなことを考える人はいるものだ。このサイトで考察してくれていた。

2017年12月、バーチャルYoutuberはなぜ・どのように流行ったのか? | 文脈をつなぐ

どうやらVTuberの人気は、2017年12月から伸びだしたようである。理由は、「ニコニコ動画のあるカテゴリで話題になったから」とのこと。しかしこの事実からは、人々が何を求めてVTuberに食いついたのかはわからなかった。

もしかすると、昨年後半に動画のクオリティが上がったのか?と思い、初回のキズナアイの動画を見てみたが、特にクオリティも方向性も変わっていないように感じた。

つまり、上の事実以上のことはなく、単純に動画が増えて多くの人の目に触れ、拡散力が上がった結果だと思われる。要は、人々はVTuberの存在を知らなかっただけで、VTuberは最初から人々を引き付ける魅力を持っていたのだろう。

VTuberとYoutuber

ではその魅力とは何か?Youtuberとの繋がりから考えてみる。VTuberのやっていることは、Youtuberのそれと非常に似ている。人間のように喋り、人間のできることをする。Youtuberと違うのは、映し出されているキャラや空間が仮想であることぐらいである。

Youtuberが流行った背景には、何よりスマホ・高速回線の普及がある。それにより個人が動画を発信し、誰もが気軽に閲覧し拡散できる環境を手にしたことで、動画というコンテンツが一気に身近になっていった。

ただ、内容はというと、いい年した大人が調子に乗って遊んでいるものが多い。テレビ番組だったらチャンネルを変えたくなるレベルだ。Youtuberがこれほど人気なのは、テレビにはない(周りからの指示や、組織的な制約のない)「リアルさ・親近感」が大きい。それについては、特にこの記事の内容がわかりやすいと思う。

YouTubeで芸能人がバズらない「本質的理由」 | ゆうこす流SNSの新常識 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

Youtuberの特徴として「普通の人が真似出来ないことをする」というイメージが強いが、本質としては、それを組織ではなく個人でやることに大きな意味があるのだ。配信者のリアルを身近に感じられることこそが、Youtuberの魅力なのである。

VTuberの人気を上げるには

そして、そのYoutuber自身を仮想化したものがVTuberだ。仮想化しても、その魅力は変わらない。あたかも人間のように振る舞うキャラクターであれば、Youtuberと同じ理由で、自ずと人気は出るだろう。見た目の可愛い/カッコいいキャラクターであれば尚更である。

では、VTuberがより人気を獲得するにはどうすればよいのか?ここからは考えなので賛否両論あるかもしれないが僕の思いを書いてみる。

何よりも、リアルな人間らしさ

基本は、上で書いた「リアルさ・親近感」をしっかり感じさせることである。ここだけはブレないようにしたい。例えば、「普段は言わないような本音を言う」とか「ちょっとした弱音を吐く」といったような人間らしい一面をたまに出すと良い。生活感の見える空間描写なども効果的だと思う。人間が持つ感情や生活、経験などを垣間見せるのだ。

また、動きや表現が不自然だったり、キャラクターの見た目と声が合っていなかったりして人間らしさを感じにくくなるのは要注意だ。あくまで視聴者は仮想アバターのキャラクターを見ているのであり、「裏にいる人間」を感じさせた時点でつまらないものになる。仮想空間では何でもできるため、いろいろ手を加えがちだが、それによって視聴者に違和感を感じさせないように気をつけたい。

※キズナアイがテレビで冠番組を持ったのは、個人的にはあまり良くないと思っている。テレビはどうしてもテレビ局側の意思が影響したり、彼らとの関係性を考えた行動をしているように(実際は違うとしても)見えてしまうからだ。

リアルタイム性の向上

昨今、様々なものがデータで残り、いつでもどこでも見れるようになったことで、リアルタイム性(その場でしか感じられないもの)への価値は高まっている。動画も、リアルタイムで受けたコメントに対して反応するようなイベントを作ると良いだろう。アドリブ力が試されるが、上手くやれば他者に真似されにくい大きな強みになる。場所としては今はSHOWROOMが鉄板だろう。

それが難しければ、少なくとも視聴者からの意見に対するフィードバックを早くすることだろうか。視聴者コメントから提案を汲み取ったり、SNSなどで素早くやりとりできると、より人間味が出るし親近感も湧く。身近な最新ニュースや最新コンテンツを話題にするのも身近に感じられて良いかもしれない。

カテゴリ単位での特化

これからの時代、強制的に皆が同じものを見る形態は古くなる。本当はAIでも使って個人単位で動画内容をカスタマイズしたいところだが、AIもまだそこまで賢くないので、まずは得意分野に特化させると良いだろう。VTuberをカテゴリごとに用意するイメージだ。例えば美女姉妹VTuberを作ってそれぞれで趣味が違うなんていう設定も面白いかも。

今はまだ、先駆者たちが探り探りでVTuberを作っているのでどれも似たような内容になっている。これからは今のYouTubeのように、あらゆる人が自分の好みに合わせてカテゴリを選べるようになっていくだろう。個人的には教育・学習分野が狙い目だと思う。例えば池上彰さんが真面目に政治の話をしていても面白みがなくて見ないが、可愛いVTuberがユーモア交えて説明していたら見るという人は多いだろう。

VRを使ったコミュニケーション

VRデバイスは現時点では普及段階だが、そのうち全員が持つようになる。そうなったときに、「VTuberと話してみたい」という感情が生まれるのは間違いない。リアルのアイドルとは違い、リスクなしかつ場所を気にせず会話ができるので障壁が低い。既にVRアバター同士で会話できるサービスもあるので、その気になればできるだろう。

一番良いのは、1人ずつ、時間を取ってしっかり会話することだ。声優は1人なので対応は困難だろうが、それでも効果は絶大だと思われる。本当ならVTuberが自動でVRで会話する準備を整えておきたいところだが、まだスムーズな会話ができるAIの実現にはしばらくかかるし、「1対1で会話した」というだけで、恐らくその人はずっとファンでいてくれる。地道な作業が、いずれ大きな力になるはずだ。

おわりに

つい熱がこもって長々と書いてしまったが、VTuberやVRの未来はこれからである。例えば「ブログ」は以前、サーバやHTMLなどの知識がある人だけが運営できたが、今や便利なサービスがたくさんあり、誰でも運営できてしまう。

「VTuber」も、今はUnityや3Dモデリングなどの知識を持つ人が強いが、誰でも使える便利なサービスが増えてきた。いずれ多くの人が簡単に仮想アバターを使い出し、群雄割拠の状態になるだろう。

一度人気になったVTuberは、拡散の連鎖によりますます人気になっていく。この記事を読んだ人が、彼らに負けない人気のあるVTuberを作り出し、どんどん活躍してくれることを願う。

新社会人に伝えたいこと2018

4月ということもあって、様々なメディアが新社会人をネタにして盛り上がっている。ベーシックインカムが急速に進められでもしない限りは、ほぼ全ての新社会人はこれから40年以上働くことになるわけだ。ようこそ、長き社会人生活へ。

せっかくなのでTwitterで気になった新社会人向けのツイートをいくつか載せておこう。

タイムカードって表現が古くさいが、少なくとも勤怠管理が厳密な会社に務めることが、健康な社会人生活の前提になるだろう。残業代が出るのは当たり前だが、出たとしても睡眠時間を十分取れないレベルになると精神的にもつらくなってくるので気をつけてほしい。ここ数年で、そこまで残業させる会社は少なくなったとは思うが。

 

人脈目当てで生きてる奴なんて、ロクな人間じゃない。仕事してれば自然と人脈は広がるし、別に無理に広げるものでもない。可愛い女子社員でもない限り、無関係の人の名刺なんてポケットティッシュよりも要らないばかりか、むしろ迷惑である。これを強要する(ことがまかり通っている)会社なんてそのうち潰れる。勤めるだけ時間の無駄だ。「渡した名刺を道端に捨てられるのが快感なんですぅぅ!」っていう人以外にはお勧めしない。てか個人情報にうるさいこの時代にあり得ないような気もする。

 

面白いデータ。プロペラなどの重要な箇所に被弾した飛行機は、「過去に例がない」のではなく「生還していない」ためデータに残らないということだろう。飛行機と人間は違うのであまり参考にならないかもしれないが、アドバイスがないからと言って不遇を受け入れず、正しい道を自分で考えよう。

 

時代は常に変わり続け、その変化は異常なほどに早くなっていることに気づいていない大人は多い。そういう人は、今は通用しない過去の常識を押し付けてくるから気をつけよう。信じる人を見極めながら、過去に囚われずに常に新しい情報を仕入れ続けてほしい。

 

架空とまでは言わないが、自分の求める理想の上司なんてのはいないと思った方がいい。上司に期待してたら、長い社会人生活はやっていけない。とはいえ我慢のし過ぎは禁物なので、こりゃもう無理だという限界ラインはちゃんと見極めよう。

 

仕事がどんなにつらくても、大丈夫だ。生きてればなんとかなる。今まで鬱になった人間を何人も見てきたが、みんな真面目すぎるのだ。適当にやっておけばいい。失敗したら謝っておけばいい。みんなそのうち忘れる。どうしようもなくなったら辞めればいい。死ぬよりマシだ。必死に違う道を探せ。

ちなみに僕もそんな環境を経てきたが1度も心をやられることなく、2回転職してこうして今気楽にブログを書いている。「転職はやめたほうがいい」と言う人も多かったが、彼らは全員転職未経験だった。セックスしたことのない童貞が、「女はやめとけ」と言うのと同じである。転職では、有休消化はもちろん、転職時に皆から必死に止められたり、転職後に元の職場から「よくあんなつらい仕事やってたな…」「お前がいなくなって辛すぎるんだが…」という嘆きを聞くのも一興だ。「でしょー?大変だったもん笑」と笑いながら答える快感をぜひ味わってほしい。

 

さいごに

世間では「働くこと」に対して悲観的な言葉が多い。やれブラックだ、残業だ、パワハラだセクハラだと、ロクな話がない。それは仕方がない。世間はそういう話が好きなのだ。他人の幸せな話など聞いても誰も面白くないのだろう。

でも実際は、どう働くかは自由である。悲観的になる必要は全くない。たとえ就職先に問題があっても落ち込んではいけない。普通に考えれば、世の中に企業は腐るほどあるのだから、たった1回の就職で思い通りの職場になるわけがないのだ。最初に付き合った相手と結婚する必要がないのと同じだ。仕事は、職場は、自分次第で、いくらでも楽しくなる。自分で勝手に選択肢を狭めず、長い社会人生活を、精一杯楽しんで欲しい。

 

最後におまけ。こんな先輩を見つけたらすぐに辞めてしまおう。

教育することを忘れてしまった教師

人はそれぞれ、みんな違う。顔も手足も肌の色も、性格も感覚も考え方も、好きな異性のタイプも嫌いな食べ物も全て、完全に同じ人なんてどこにもいない。そんなことは誰もが知っているし、それが当たり前だと思っている。それらの違いは「個性」と呼ばれる。

個性を認めない教師

しかし当たり前なはずなのに、世の中では「皆と同じであること」を求められることも少なくない。このツイートからも、学校における個性が許されない一面が垣間見える。

誰もが違う人間なのだから、各々が適した場所が違うのは当然だ。学校に行きたくない子がいるのも当然だし、そうであれば他の場所で人生を楽しめばいい。何につけても、生きていく上で1つの選択肢に縛られる必要はないし、そんな場面に出くわしたら「何かがおかしい」と感じるべきである。

「学校に行けない」を乗り越えた貴重な実体験

教師というのは、子供の貴重な時間を託される仕事である。つまりは日本の未来を担っているわけだ。正直言って、非常に重い責任がある。個人的には、民間企業の一社員と比べても、よっぽど重要な役目だと思う。それなのに、1人の生徒が必死に乗り越えてきた苦しい思いや行動を認めず、「学校に行けない」ということだけで作文を却下するような教師がいるというのは、本当に嘆くべき事態である。

むしろこれほど素晴らしい作文はなかなかないと思う。自分が周囲に適応できないときに、自分に適した場所を見つけ出し楽しみ、失敗を恐れず挑戦し続け、ダメでも別の方法を探し前進する。人生で大切なことを凝縮し、実体験になぞらえて簡潔に語られている。教育という観点でも、他の生徒にも読んでもらうべき内容だろうし、同じように悩む子どもたちの勇気にもなるだろう。

教師は、教育をする仕事

教師の言い分はわからないので想像で語るのは忍びないが、単純に考えると、自分の生徒が学校に通えなかったことが悲しかったのかもしれない。それを形に残したくなかったのかもしれない。でもこの教師には、自分の本当の役目を改めて考えてほしいところである。教師の仕事は教育なのだ。そして教育とは、学校に通わせることではないし、子供たち全員に同じような生き方をさせることでもない。

少子化が進む社会、子供の教育の価値はどんどん高まるだろう。この作文を迷いなく文集に載せて、彼女の個性と生き方を認め称賛することのできるような教師が、今後1人でも多く出てきてほしいと切に願う。 

残された4時間で何をしようか

最近、そろそろ家を買ったらどうかという話をされることが増えた。しかし僕はどうにも買う気になれない。これと言って住みたい土地がないのも理由の1つだが、それよりもまず、数十年間にも渡りお金を返し続けなければいけないという状況を受け入れる気になれない。

家を買う男気が溢れない僕

もちろん賃貸を続けても何も残らないし、買ったほうが月々の支払いが安くなるのはわかる。しかし、買うにも当然リスクはある。災害、迷惑な隣人、突然の引越し、地価の下落など、買って後悔することは普通にありえる。数年すれば自動運転の普及で住む場所は自由になるという話もある。そんな中で購入に踏み切る男気は、今のところ僕の中にはない。

バスに貼られたサマージャンボ宝くじの広告に、「7億円」の文字と満面の笑みの役所広司が描かれている。7億当たれば、僕もこれぐらい笑顔を振りまきながら躊躇なく家を買い、仕事を辞めて趣味や旅行で充実した毎日を送るのだが。

現実は大半を仕事に捧げる毎日である。1日12時間働いて、8時間寝たらもう20時間だ。残り4時間。飯食ってウンコしたら終わってしまう。ちなみにナマケモノは1日20時間寝るらしい。

渋谷顔の人は渋谷で降りてほしい

仕事帰りは、1時間電車に揺られる。座れる確率を高めようと、少し遠回りして帰ってみた。だが驚くほどに座れない。「絶対この人渋谷で降りるだろう」と目星をつけていた渋谷顔の人が降りなかったのは誤算だった。整形してほしい。

そして電車は遅延している。自分の早口に酔いしれたような車掌のアナウンスが耳に響く。早口スキルの前に、明らかに音量調節スキルが足りていない。仕方なくイヤホンで耳を塞ぐ。

新しい曲でも購入して聴こうかと思いランキングを開いてみたが、1位に出たのはミスチルの『HANABI』だった。ドラマ『コードブルー』の影響だろう。恐らく100回以上聴いたし、既にスマホにも入っている曲だが、改めて聴いてみる。「笑っていても、泣いて過ごしても、平等に時は流れる」という当たり前の歌詞が胸に来る。

レジ袋の革新はいつなのか

電車のディスプレイには、笑って過ごしているローラが映っている。今朝ちょうど、彼女が事務所とイザコザがあったというニュースを見たので、少し心配である。事務所はダレノガレにシフトチェンジし始めているらしい。別にファンではないし、僕ごときが心配したところで何も変わりはしないのはわかっているが、あの天然の笑顔がお茶の間から消えるのは少し寂しい。

電車を降り、家の近所にあるスーパーで弁当を買う。それにしても、レジ袋はいつまでこうも開けづらいのだろうか。 効率が追求されるこの時代に、袋を開けるには未だに濡れ布巾に頼らざるを得ないこの敗北感。しかもたまに濡れてない。

傘の不便さなども同じだが、昔ながらの製品は、そろそろ革新が生まれてもよいのではないか。例えばお弁当に貼られたセロハンテープは、いつからか驚くほどに切れやすくやった。レジ袋担当はセロテープ担当に弟子入りすべきである。

そうこうしている間に家に着く。家賃10万ちょっとの賃貸に。僕に男気が生まれるのはいつかはわからない。さて、残された4時間で何をしようか。

誰もいない駅で感じた、繫がり

世間では記録的豪雨だとか大粒の雹だとか騒がれている割には、僕の周りはひたすら暑く雨の降らない日々が続いている。関東では水不足が予想されるというが、日々の国民の汗を集めて濾過すれば余裕で解消できるのではないかと思えるぐらい暑い。もちろんそんなの飲みたくないけど。

懐かしい街からの帰り道

そんな暑さの中、学生時代に過ごした街へ行ってきた。1泊2日という短い旅だった。今は帰りの飛行機に乗るために空港へ向かっている。うっかり違う方面の電車に乗ったことに気づき、とっさに降りた駅で僕1人、次に来る電車を待っている。駅には他に誰もいない。視界に広がるのは青い海ばかり。久々に嗅ぐ潮の香りが漂う。この駅を作る意味はあったのだろうか。そう思わせるほどの静けさである。

待ちわびた電車には、数人の乗客がいた。僕が乗り込むと、「こんな駅から乗ってくるの?」とやや怪訝な表情をする美人に一瞥された。1番奥の席に座り、ボーッと景色を眺める。空港までの数駅の間に、思い出のある施設がいくつか目に入ってきた。学生時代の彼女と来た動物園。入学式をした大きなイベントホール。10年経っても変わらないその風景に、懐かしさと物悲しさが入り混じったような気分を覚えた。

僕らは皆繋がっている

空港のある駅に着き、いつものようにSuicaをタッチして改札を出る。遠く離れた土地でも、同じカードで乗り降りできるその仕組みに、不思議な繋がりを感じた。「僕らは皆繋がっている」なんてよくあるセリフを、無人の改札から感じるのはどこか面白い気もする。

空港に着いて、予約していた搭乗券を出す機械に向かう。どうも購入したクレジットカードが正しく読み込まれない。問い合わせ担当と思われる綺麗なお姉さんが、すぐ近くで暇そうにしていたので聞こうかと思ったが、適当に画面を触っていると予約番号と電話番号であっさり解決してしまった。僕とそのお姉さんの人生は繋がっていなかったようだ。

何でも気の持ちようである

帰りの飛行機は、ほとんど寝ていた。1泊2日の旅とはいえそこそこハードで、2日とも昼から強くもないお酒を飲んだので、疲労と眠気でいっぱいだった。着陸10分前ぐらいに起きて窓の外を見ると、緑いっぱいの地面と、まばらに建つ家々が見えた。僕はいつも、一生行くことのないような田舎の街を見る度に、そこで生活している人にもそれぞれに人生があることを、どこか不思議に感じる。今回もそんな気持ちになった。

そうして東京に戻った途端、明日からの山積みの仕事を思い出した。出社するまでは気にしても仕方ないのだが、休み中でも憂鬱に感じることは時折ある。しかし旅行中は不思議なもので、そんな気分になることはめったにない。職場から距離が離れているだけで、仕事の悩みからも離れているような気分になるのは不思議なものだ。結局は、悩みなんて気の持ちようなのである。

さて今週もボチボチやっていこう

帰ってご飯を作るのも面倒なので、帰る途中の駅にあったラーメン屋で、味玉とんこつラーメンを食べる。味玉がめっちゃ柔らかい。店内で、少し物悲しくウィー・アー・ザ・ワールドがオルゴールバージョンで流れている。誰もいない家に帰る僕の寂しさを、代わりに表現してくれているような気がした。

今週も大変なことはたくさんあるだろうが、まあボチボチやっていこう。

毎朝、落ち着ける場所

毎朝出勤前に通っていたカフェが、先日突然閉店した。いや、関係者からすれば、ずっと前から決まっていた事実なのだろうが、僕にとっては突然でしかなかった。閉店の前日も普通にそのカフェで朝食を取ったし、店員にもそんな素振りは全く見えなかったので、衝撃だった。

彼女から、別れの言葉も告げられず、突然音信不通になったような感覚である。そんな経験はないが、きっとそんな気分だ。「ごめん、もう会えないよ」と一言あれば、別れを惜しむこともできただろうに。予期できなかった突然の別れに、平日の朝から少し切なくなった。

その日からいくつかカフェやファーストフード店を回っている。どこも冷房がキツかったり、店内がキレイでなかったり、席が狭かったりと、今のところ満足のいく店には巡り会えていない。今も冷え切った店内で、梅雨が明けたにも関わらずホットコーヒーを飲んでいる。正確には、サービス精神旺盛な冷房のお陰でとっくにホットではなくなったコーヒーだが。

ところで普段は、ニュースや世間の話題をネタにしてブログを書いているのだが、最近はそういう気分にならない。ネタにしようかなと思ったものはいくつかある。auの3がつく日のサービスが微妙だとか、時間を売買するサービス「タイムバンク」が面白そうだとか、個人的に買ったPlayStationVRの魅力だとか、そんなやつだ。

でも、きっと誰かが書いているそんな内容を僕が書いたところで、大勢の中の1つでしかないと気づいてからは、あまり書く意味を見いだせない。どうせ書くなら、僕にしか書けないものがいい。なんて考えていたら、別に書かなくてもいいか、と思うようになってしまった。ブログで生活しているわけでもないし、別に書かないことで誰も困らない。おかげで家族や趣味に使える時間が増えたとも言える。

今日は久々にブログを書いている。僕の日常だったり、抱えている思いだったり、そういうリアルで赤裸々なものであれば、個人で書ける面白いものになり得るだと感じ始めたからだ。

「個人のプライベートなんて興味ないよ」と言う人は多い。僕も、そんなに興味津々ではない。ただ、日常で悩みを抱えた人だとか、頑張って生きている人の抱えるリアルな思いを垣間見ると、自分も頑張ろっかな、なんて思うこともある。FacebookやInstagramを使うと幸福度が下がると言われるが、それはみんなの充実した生活を見せつけられるからである。それの逆パターンに近いかもしれない。

というわけで、もう少し高頻度で、日常を綴っていこうかな、なんて考えている。少なくとも週1ぐらいで。幸い、出勤前は割と時間がある。まずは毎朝の落ち着ける居場所を探すところからだが。

美しいもの、美しい文章

今日はポジティブな内容を。テーマは「美しいもの」。もちろん人によってモノの好みは違うが、僕が最近美しいと思ったものをメインに、美しいものに対する思いを書いてみる。

スタバで写真撮るだけで数十万の「いいね」

誰でも美しいものを見ると、気分が良くなるものだ。美しい景色、美しいイラスト、美しい人、音楽、文章など、美しいものは見る人の感動を誘い、心を癒してくれる。1番最近それを感じたのは、このツイートである。

世界中の男を思い通りに操れるのではないかと思わせるほどの可愛さだ。リツイートや「いいね」の数が半端ない。スタバで飲み物買って写真撮るだけで、何十万という人たちに「いいね」される気分を、一生に1度ぐらい味わってみたいものである。僕も今度スタバに行ったら試してみよう。誰かの手が滑れば、30歳超えサラリーマンの笑顔でも1いいねぐらい貰えるかもしれない。

美しい人というのは、それほど大きな力を持っている。僕自身も上のツイートの写真を見て、今日の仕事の疲れを癒しているぐらいだ。キモいとか言うな。男なんてそんなもんだ。山下智久も福士蒼汰もディーンフジオカもそんなもんだ。そういうことにしとこう。

美しい音楽、景色、イラスト

音楽で言えば、最近行ったMr.Childrenのライブは心から感動した。そのライブでも歌われた『Tomorrow never knows』は超有名曲だが、初めて聴いたときの感動は今でも覚えている。あれは子供の頃、回転寿司に行ったときだった。店内で流れていたその美しいメロディに、穴子を食べながら心から感動した。穴子も美味しかった。

景色で言えば、数年前に沖縄で見た満点の星空は今でも忘れられない。新月の夜、明かりも全くない離島の浜辺で見たその空は、今までの人生で1番美しかった。写真にはうまく映らなかったのでお見せすることができないが、あれを超える空は、今後見ることはないかもしれない。そう思えるぐらい最高の星空だった。

また、イラストで言えば、loundrawという方のイラストには心を奪われるような美しさがある。最近では『君の膵臓をたべたい』という作品のイラストなどで有名なイラストレーターさんだ。個人的にアニメやイラスト界隈はあまり深く知らないのだが、この人の描く絵は泣きたくなるような美しさがある。例えばこんな感じだ。

これらのように、美しいものは人の心に刻み込まれる。ものによっては、一生忘れられない思い出となり、宝物になる。

美しい文章とは

そこで、自分も美しいものを周りに提供できないか?と考えてみた。手っ取り早く実現するなら、旅をして、美しい景色を写真や動画に収めて公開することだろう。VRが流行りかけている今のうちに360度の美しい動画を撮り集めておけば、2,3年後に重宝されるかもしれない。

少し手間をかけるなら、イラストや音楽をしっかり勉強して、美しいと思える作品を作り出せばよい。それらもいずれやってみたいとは思っている。ただ最近は、美しい文章にも興味がある。

文章は、「美しい」と思わせるのが難しい。今までいろんな文章を読んできたが、ブログやTwitterの文章だけで、その美しさにウットリしたようなことはほとんどない。でもだからこそ、そんな文章を書けるようになったら、かなりの強みになるだろう。

そのハードルは高い。素敵な言い回しや珍しい表現をするだけでは心には響かない。その文章が表す意味、例えば「その発想はなかった」とか「言いにくいこと・モヤモヤしていたことを具体化してくれた」とか「とにかく共感できる」とか「めっちゃ励まされる」みたいなものがないと、読んだ人にとって美しいものにはならない。その文章を書く人の実績や経験が意識されることもある。

それらは一朝一夕でできるものではない。自分が感動したことや感じていることを、他の人に対して全力で伝えること。自分なりの表現で、シンプルに、美しいと思える形で伝えること。それを日々続けることが、美しいものを生み出すための力になっていく。僕はそう思っている。

なお、最近、文章でいいなと思ったのは、下のツイートだ。上2つの励ましの威力は半端ない。異論反論は受け付けない。

Mr.Childrenの25周年ライブに参戦して

先日、Mr.Childrenのライブに参戦すべく、東京ドームに行った。彼らのデビュー25周年を記念したライブだ。前に東京ドームに来たのはいつだったかな。確か学生時代だったから、10年近く経っているはず。本当に、月日が経つのは早い。

http://tour.mrchildren.jp/dome_stadium/

約10年ぶりの東京ドーム

この10年で考え方も日々の生活も、良くも悪くもすっかり大人になってしまった。最初は全く好きではなかったビールや漬物がいつの間にか美味しく感じるのは、嬉しくもありちょっぴり切なくもある。納豆ともずくは未だに嫌いだが。あんなのみんなよく食べれるね。

それでも、学生時代によく聴いていた音楽というのは、いつになっても胸を高ぶらせてくれる。Mr.Childrenやゆずを始め、JPOPは昔から好きで色々聴いてきたのだが、僕の中ではやはりミスチルは特別だった。中学生の頃から浴びるように聴いていて、何度かライブにも行った。

Mr.Childrenの人気の凄まじさ

今回のライブはMr.Childrenファンにとってはかなり貴重なものなのだが、友達経由でチケットを貰うことができた。彼からは何度かチケットを貰ったことがあり、その度に「持つべきものは友」という言葉を実感する。

元々このライブには身近な友人と行く予定だったのだが、その人が急遽ダメになったので、募集用のTwitterアカウントを作り募集をかけた途端、かなりの反響があった。さすが天下のミスチル様である。得体の知れないアカウントにでも躊躇なくコンタクトを取らせるほどの力が、そのライブチケットに宿っている。

しかし僕が優しく素敵なジェントルメンだったから良かったものの、秘書に暴言吐く議員のような変な奴だったらどうするのだろうか。正直、彼らの積極性を見て少し心配になった。見た目で怪しさがわかれば直前でドタキャンできなくもないが、猫をかぶられたら見抜けないだろう。まあリスクがあるのはお互い様だけども。

人はみんな意外とまとも

応募者の中から1人を選んでメッセージを送り、LINEでやりとりした。普段からインターネットを見ていると、世の中は変な人が多いなぁという印象を持ってしまうが、実際話してみると、普通に常識的で話しやすかったりする。

それでもTwitterの知り合いとリアルで会うなんて初めてである。しかも初対面の女子とタイマンである。さすがに待ち合わせでは緊張する。と思ったが、僕もいい歳なので意外とそうでもなかった。大人になると、良いか悪いかは別にして、色々動じなくなってしまうようだ。

世間話しながらブラブラして軽食を取り、会場に入ってライブを楽しむ。ほんの数時間ではあったが、色々話して、ライブも最高で、久々に非日常な感覚を味わえた。ライブについて語ると長くなる上にネタバレになるのでやめておくが、心から満足できるものだった。

新しい人、新しい経験

同行してくれた彼女はライブが好きで、特にスピッツが好きだと言っていた。この歳では珍しいが、この夏はスピッツに捧げると熱弁している姿が眩しかった。セトリが変わらないライブでも何度も参加するらしい。もう情熱がヤバい。隣にいたら溶けそうなほど熱い。髪の毛2,3本焦げたかもしれない。ライブ以外に旅行も好きなようで、他にも色々なものに挑戦していて、いかにも「毎日を楽しんでいる!」というのが伝わってきた。

僕も毎日楽しんでいるつもりだが、もっと楽しんでいそうな彼女に対し、恥ずかしながら憧れのようなものを少し感じてしまった。なんとなく少しでも長く話したくなり、彼女の乗る電車に合わせてこっそり少し遠回りのルートで帰った。別に下心のようなものではなく、至って健全な「もう少し話していたい」という感情に、少し懐かしさを感じた。

新しい人と出会い、話すこと。新しい経験をすること。人生には、そのようなスパイスが適度に必要なのかもしれない。毎日を全力で駆け抜けている彼女と、素晴らしい感動を与えてくれたMr.Childrenのライブから、改めてそんなことを考えさせられた。1人になった帰りの電車で、ダウンロードしたスピッツのアルバムを聴きながら。

 

AKB総選挙とブラックボックス

今日はAKB総選挙とブラックボックス展についての話をする。

AKB総選挙と結婚発表

AKB総選挙が先日行われた。僕自身は彼女たちにそれほど興味はないのだが、「総選挙」というイベントは面白いと思う。芸能人を公式にランク付けする様子なんて、なかなか見れるものではない。

結果的には指原さんが3連覇とのことで、最近のアイドルファンは顔より中身を重視しているのかなぁなんて思ったりした。乃木坂とかも含めたら、順位がどうなるのかは個人的に気になるところだ。

あと、特に話題となったのが、須藤さんの結婚発表だ。「アイドルとして良くない」という正論で叩く人の気持ちはわかる。総選挙という場で発表すべきではなかったかもしれない。

しかし実際に彼女だっていつかは結婚するわけで、彼女を知らない人間からすれば「おめでとう」でしかない。彼女のファンが叩き、ファンでない人は祝福するというのは、不思議な構図だなぁと思った。

ブラックボックス展と痴漢

ブラックボックス展なるものが六本木で開催されていたが、そこで体中を触られたという女性の口コミがTwitterなどで溢れているという。酷い人はキスされたり乳首を触られ、泣いたり放心状態になっている人もいたそうだ。

「ブラックボックス展」という謎のイベントが炎上 女性が胸を触られたりキスされる被害報告が続出 | ニコニコニュース

世の中には気持ち悪いことを考える男がいるものだ。しかし、暗闇の中で女子と触れ合ってしまうというのは避けられないであろうし、そうしたときにヤバイ奴がそういう行動に走るのは目に見えているとも言える。主催者側も考えておくべきだっただろう。

インターネット上でも、匿名であるTwitterなどでは積極的だったり攻撃的になる人が多いという。リアルもネットも、やはり「特定されない状況」というのは危険である。面白いとは思うが、イベントもシステムも、その辺りを考えた上で設計してほしいところだ。