人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

納得できない、電車の遅延理由

「前を走る電車が遅れているため、この駅でしばらく停車いたします」という電車アナウンスをよく聞くが、毎回これに違和感を感じる。周りでそういう意見を聞いたことがないので、僕だけなのかもしれないが、せっかくなのでブログに書いておく。

納得できる遅延理由

まず、時間通りに目的地まで到着させるのが電車の役割なのだから、時間通りに着かないと乗客は納得しない。そもそもこの考え方が厳しすぎるのではないかという話もあるが、それは一旦置いておく。とにかく乗客からすれば、お金を払ってるんだから予定通りに着いてほしいわけだ。

そのため、遅れるのであればそれ相応の理由がないと納得できない。それ相応と言っても、別に難しいものではない。よくある「線路内への人の立ち入り」でも、「急病人の対応」でも、「強風による徐行」でも何でもいいのだ。「あぁ、それなら仕方ないね…」と思える理由があればそれでいい。

前の電車のせいにするだけでいいのか

しかしだ。「前を走る電車が遅れているため」と言われて納得できるだろうか。「前の電車も、あんたたちの会社が走らせてるんじゃないの?」と思ってしまう。「じゃあ前の電車は何で遅れてるの?」と考えてしまう。結局、遅れている理由がわからずモヤモヤする。

例えば普通の民間企業で、客への納期が遅れたときに、「先行していたプロジェクトの遅延により遅れました」なんて言って納得する客はいない。「なぜ遅れたんだ」「事前に防げなかったのか」「対策を考えろ」「根本原因は何だ」「横並び確認はしたのか」「再発防止はどうする」などという話になり、場合によっては賠償金が絡んでくる。

そういう目線から見ると、鉄道会社は甘い仕事してるんだなぁと思えてしまう。いや、別にそこまでの細かい報告は聞きたくないし、実際はいろいろ大変なんだろうと思う。あんなに大量の人間を毎日運んでるわけだから、見えないところで、とんでもない苦労をしているのは間違いない。面倒な乗客も山ほどいるだろうし、理不尽なクレームもあるだろう。

だとしても、そのアナウンス1つで、そんな印象を持ってしまうのだ。それがもったいないと思う。恐らく情報共有の仕方1つで、遅延理由なんてすぐに伝えられるはずなのに。

本当は何も気にせず許し合いたいんだよ

厳しいことを書いたが、僕は本当はそんな時間に厳しい社会が嫌いだ。電車遅延で駅員に怒鳴っている面倒な客を見るとウンザリする。僕自身、電車の数分の遅れなんて、正直あって当然だと思う。

理想的には、命に関わらないものであれば、大抵のことは遅れても許容し合い、のほほんと暮らせるような社会がいい。日々、納期に追われて残業するのはもう飽きた。

とは言うものの、人生は有限であり、お金が絡んでくる以上、ビジネスで何があってもお互いを許し合うのは難しい。これを読んでくれた大抵の社会人も、毎日スケジュールを気にして意識せざるを得ない生活をしているだろう。それが現実である。

ただしそれは、日本では、の話だったりする。海外では時刻通りに電車が来るなんてあり得ないという話も聞く。数分の遅延で謝罪するアナウンスを聞いて驚く外国人もいた。日本も、いずれは文化が変わり、もう少し時間を気にしないようになったりするのだろうか。