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わらまろぐ

心に響いた出来事を、世の中へ伝えたい

もう見逃し三振は許されない

京都大学の入学式で読まれた式辞の中に、ボブディランの楽曲の歌詞が含まれており、JASRACが著作権料を請求してきたという。ホームページに式辞全文が載っていたためチェックが入ったようだが、さすがに笑ってしまった。

京大式辞に歌詞 JASRAC請求 | 2017/5/19(金) 5:09 - Yahoo!ニュース

式辞も見逃さないJASRACの仕事ぶり

そういえば、先日はヤマハの音楽教室の件でも似たような話があった。音楽教室は歌を歌っているのでまだわかるが、式辞の引用にまで請求するその姿勢は、本当に適切なのだろうか。

請求対象となる基準を超えたのだろうが、人間的な目線で見ればさすがに厳しすぎる気がする。そのうち鼻歌を口ずさんだ途端に、道端からJASRACが出てくるのではないかと恐ろしくなる。

JASRACに対してとやかく言うコメントは飽和しているのでこの辺にしておくとして、僕は京大生ではないが、せっかくなのでその引用を使った式辞の該当箇所を読んでみて少し思ったところを書いてみよう。

誤りから目をそらす人たち

これがその式辞の書き起こしである。著作権料を請求されたくないので歌詞は書かないが、この式辞のコメントを引用しておくと、こんなことが語られている。

「答えは本にも載っていないし、テレビの知識人の討論でも得られない。風の中にあって、それが地上に落ちてきても、誰もつかもうとしないから、また飛んでいってしまう」という気持ちを表したものなのです。

そう、この歌は、誤りを知っていながら、その誤りから目をそらす人を強く非難しているのです。

誤りを知っていながら、目をそらす。やらない方がいいと思いつつ、誰でも1度や2度は経験があるだろう。目先の利益や安心を優先してしまう人間の性質上、避けることができない課題である。

それは政治家も、言ってしまえば国も同じで、様々なことを見逃してきた。例えば今の日本の制度は、現代に合っていない。昭和の時代を対象にした制度が今も変わらず残っており、それが若者や貧困層を苦しめている。

もう見逃し三振は許されない

昨日、経産省からこんな資料が発表された。ネットでも結構注目されているようだ。

上で挙げたような現状の課題を整理した資料である。これこそ、誤りから目をそらしてきた結果とも言える。最後の「2度目の見逃し三振はもう許されない」という言葉が、それを強く物語っている。

「何を今更」とか「対応が遅い」のような声もあるが、こうして課題を可視化してより多くの人に認識させることが、第一のステップなのだろう。そういう意味では大切なことだ。ちなみに会議の全資料はこちら

 

ところで余談だが、僕はこのインターネットで誰もが繋がる時代なら、一般人でも頭のいい人なら政治家並みの影響力が出せるのではないかという気がする。

わかりやすい資料や方針や実現案があって、多くの人が賛同すれば、政治家も動かざるを得ないのではないか。それができれば、こんなに課題への対応が遅くなることもないのではないか。以前に「保育園落ちた」うんぬんが取り上げられたように(あれは頭の良し悪しではなかったが)。

そうして僕は少しでも早くベーシックインカムが実現されることを祈るばかりだ。あぁ働きたくない。働きたくないのだ。頭のいい人だれかなんとかしておくれ。