人生のメモ

琴線に触れた小さなことを、文章に。

3億8400万円が簡単に奪われる世界

現金3億8400万円が強奪されたそうだ。銀行を出たところで奪われたとのこと。場所は福岡天神。人通りも多いだろうに、怪我人も出さずに逃げ切るとは、なかなかのやり手である。とはいえ盗られた人からすれば、たまったもんじゃないが。何かの保険とか下りるのだろうか。

福岡強盗 防犯カメラに白い車 | 2017/4/20(木) 18:45 - Yahoo!ニュース

 

治安が良いが故の油断

日本は治安が良いので、物を盗まれることは少ない。僕は3回財布を落としたことがあるが、2回はしっかり戻ってきたぐらいだ。また、日本では電車内で無防備に寝る人も多いが、海外ではありえない光景だそうだ。そういう意味では、今回の事件も、被害者は盗まれるなんて想像もしていなかったかもしれない。

以前、赤坂で通っていた2階のカフェの窓から、警備付きで荷物を運び出される様子をよく見かけた。ケースからして恐らく現金。毎週決まった曜日だった。細かくは覚えていないが、3人の警備員が、毎回同じような動きをしていた。

彼らもきっと、強盗にあったことはないだろうから、ルーティーンを見極めて奇襲すれば1億ぐらいゲットできたのかもしれない。そんな気がする。手刀とか巧みに使いこなせばイケる気がする。

誰も疑うことのない国にはできないのか

今回も、こうして大金が簡単に盗まれてしまった。これは、逆に治安の良さを表しているとも言える。

治安が悪ければ、簡単に盗まれるような態勢で3億という大金を持ち歩かないだろう。盗まれてしまったのは運が悪かったとしか言えない。誰かに大金を持つことを言いふらしていたのであれば別だが。

安全な日本の中でも、このような悪い奴は少しは存在する。せっかく治安が良いのが売りなんだから、それを極限まで高めて、誰も他人を疑わなくて済むような国にできればいいのだが。

こらからもきっと、悪い人は一定数いるのだろう。人のものを盗んだり、人を騙したりして生きる人は、どんな気持ちで日々生活しているんだろうか。

知らない美女には気をつけて

今日、LINEで知らない美女から友達追加された。名前はえり。誰だろう 。僕の隠れファンだろうか。アイコンを開いてみると、妙にエロい写真が出てきた。

友達を探しているエロい美女が、偶然僕のLINEに迷い込んできたのか。あ〜うん、あるある…わけないだろう。こんなのに騙される方もどうかと思うが、こうして人を平気で騙す人がいることが悲しい。強盗のニュースとスマホに映る美女を通じて、そんなことを感じた。

余談だが、このニュースを見て、以前読んだ「陽気なギャングが地球を回す」という小説を思い出した。人を傷つけずに楽しそうに銀行強盗をする4人組の話だ。面白いので暇な人はぜひ読んでみてほしい。こんな強盗がいたら面白いなと思えてくるだろう。今回のニュースは個人を狙ったみたいなので、銀行強盗ではないが。

大切なのは「今」か「未来」か

人は、未来の利益よりも、目の前にある利益に飛びつきやすい。行動経済学などで言われるが、人は必ずしも合理的な選択をしない。例えば「今すぐ5万円もらえる」or「1年後に7万円もらえる」だと、前者を選ぶ人が多いとかいうやつだ。

優先するのは「今」か「未来」か

経済とは関係なくても、同じように「今を優先する」か「未来を優先する」かによって、人生は大きく変わる。僕らの生活において、そのバランスはすごく重要だ。

その時の感情や欲望に左右されずに選択すれば、大抵の物事はうまくいく。しかしそれが度を超えるとそれはそれで大変なことになる。

優先しすぎには注意

今この瞬間を優先しすぎる人は、犯罪に走る。今目の前にあるものが欲しいから盗んだり、目の前にあるおっぱいに触れたいから揉んだりする。未来のことなど考えない。これは相当ネジが外れてる場合だが、こういう人たちが日々のニュースで報道されている。

もう少しライトなものでは、「働きたくない」と言ってニートになる人もこの傾向が強い人だろう。本当は働いた方が良いのはわかっていても、今の気持ちを優先して仕事をしない。未来を想像しないようにしているのだ。これは人として気持ちはよくわかるのだが、後で困るのは自分である。

逆に、未来を優先しすぎる人は、自分を追い込む。今を犠牲にしてでも未来を大切にしようとする。今が耐えられないほど苦しくなっても頑張り続け、度を超えると限界を迎えて心をやられてしまう。結果として未来にも良くない影響を与えてしまう。

今と未来のバランスを

つまりは、「今」と「未来」のバランスをとってやる必要がある。身近な例では、「今日どこまで残業するか?」とか「どれだけ受験勉強するか?」なんてのも、そのバランスによって変わってくる。少しでもタスクを進めておくか、程々にして休むか。そのさじ加減は人によって違うが、未来を想像しながら、自分を追い込み過ぎない程度にしておく必要がある。

僕は今日も相変わらず、会社に行きたくない。今の気持ちを最優先すれば、今すぐ飛行機にでも乗ってハワイに行き、ワイキキビーチで海を眺めながら鼻歌でも歌って過ごすだろう。しかし現実は働かなければならない。今ハワイに行ったら困る未来が待っているからだ。

「今この瞬間だけを見て生きよう」のような言葉を聞くことがあるが、それは今の欲望に従って生きようという意味ではない。大抵の人は、未来を見据えて、今の気持ちをコントロールしながら過ごしている。そして今日も僕は、ハワイではなく、会社に行くのである。

力ずくで何とかしようとする人

世の中には、納得いかないものが山ほどある。最近思うのは電車の座席の幅である。人が最も幅を取る部位は肩幅なのに、電車の座席は男性の平均肩幅より狭いのだ。いやおかしいでしょ。なんなのコレ。

電車の座席は肩幅よりも狭い謎

通勤電車の乗客なんてほとんどがおっさんなのに、平均肩幅より狭い席を作るなんて、明らかにどうかしている。華奢な女子ばかりが座ることを妄想して作ったのだろうか。なんておめでたい奴なんだ。そんな電車に乗ってみたいわコノヤロウ。

全サラリーマンにこれほど不快感を与える規格を作るなんて、もはや大罪である。電車代返せと。僕の代わりに通勤しろと。隣に華奢な美女座らせろと。そんな悲しい苛立ちを、毎日おっさんの豊満な肩に挟まれながらグッと噛み殺している。

力づくで押しのけてくる傲慢な輩

しかし座席が狭いことで、座るときの態度にはその人の性格が顕著に現れる。既に両隣に人が座っている席は、彼らの肩が出ている分、余計に座席が狭くなるため、後から座る人は大抵遠慮がちに座る。しかし、ビックリするほど傲慢な態度を取る人たちもいる。

座るときに全く隣の人を気にしない図々しい人は、僕の経験上1割ぐらいだろうか。奴らは、座席が狭いことなど全く気にせず、隣の人を押しのけて窮屈に追いやってくる。完全に体重をかけて、隣の席の人の肩を潰してくる奴もいる。

奴らにとっては、ゆったり座る権利を持つのは、「先に座っていた人」ではなく、「他者を力で押しのけた人」なのである。順番なんて関係ない。

ちなみにこれは座席が狭いのが問題なのであって、本来は全員が平等に座れるべきなのだが、事実今は全員がゆったり座れない以上、誰かが我慢しなければならない。

弱肉強食の世界

それを力で強引になんとかする彼らの振る舞いには、正直言って不快感を覚える。しかしこの感覚は人によって違うのだろう。教育とか生活とか文化などが違えば、「他の人を押しのけて座るのなんて普通でしょ?」という人間になるのかもしれない。

例えば海外では電車に乗る際にいちいち並ばないというが、日本人は綺麗に並ぶ。大震災のときも、コンビニに並ぶ日本人の姿が海外でニュースになった。日本では「早く並んだ人に権利がある」ことが当然になっている。根本的に違うのである。

「弱肉強食」という言葉がある。「力ずくで勝てばよい」という考えはそれだ。体がデカければ、力が強ければ、相手を打ち負かせば、大きな権利を得られる。それは自然界では当然である。それが悪いわけではない。とはいえ、それをなるべく平等にするために人間はルールを作ったり、モラルが生まれたりしてきたわけで、「強引に力で何とかする」なんてのはそろそろやめにしてほしい。そんなことを感じている。

つらつらと思いつくままに書いてしまったが、要は僕が言いたいのは、「電車の座席は狭すぎるから広くしてくれ」ということである。あと、おっさんは全体的にもう少し痩せてくれ。

他のみんなは知らないこと

飛行機はオーバーブッキングすることがあるという事実をご存知だろうか。アナウンサーの安住さんが、ラジオで面白い話をしていたのでご紹介する。

お金あげるから、乗るのを諦めてください

予約数が飛行機の座席数を超える、つまり満席以上になることがある。そんなときは、お金やマイルと引き換えに、搭乗を辞退してくれる人を募集されるそうだ。詳しくはこのあたりを見てみてほしい。

【魔性の館内放送】飛行機がオーバーブッキングした時、人々は… 安住アナの話が秀逸!「まるで落語」「おもしろすぎる」 - Togetterまとめ
安住紳一郎が語る 空港で人々を動揺させる館内放送と対処方法

出張慣れしている人からすれば当然なのかもしれないが、僕は初耳で興味深い話だった。安住さんの話に多少誇張はあるかもしれないが、募集に応じる人に傾向があるのも面白い。僕なら見返りが1万円ではまだ動かない気がする。2万ぐらいになると悩むかな。

この話を聞いて、改めて思ったことがある。「ある人にとっては見慣れたものも、他の人にとっては目新しくて面白いものになりうる」ということだ。

自分にとっては当然な情報にも価値はある

安住アナは何度もこのオーバーブッキングの光景を見ているようだが、僕を含む多くの人にとっては初めて聞く新鮮な情報である。だからこそ、こうしてネットでも話題になっている。

中には「今更何当たり前なこと言ってんだよ」と思う人もいるかもしれないが、実際は「へぇ〜知らなかった!」という意見がほとんどなのである。

昨日のエントリーにも書いたが、低品質な情報というものの中には、「ありふれた情報」も含まれると思う。ただ、自分にとってはありふれた情報でも、きっと多くの人には新鮮な情報になるものも存在する。単純に検索しても入手できないけど、自分は知っている何か。それはむしろ大きな価値を持つ。

そのような、個人の経験に基づく、多くの人が知らないことをもっと自分が発信できたら、皆が発信してくれたら、インターネットの世界はさらに便利で価値のあるものになるだろうなと思った。

他の人が知らないこと

僕も、他の人があまりやってない習慣などがあるかな?と考えてみた。例えば、朝カフェだろうか。僕は割と平日の朝は早い。ほぼ開店直後に会社近くのカフェに行き、1時間ぐらいダラダラする。大抵スマホをいじってニュースを見るか、本を読むか、漫画を読むか、ブログを書くかのどれかである。

何か特別なことがあるわけではないが、少し面白いなと思うのは、朝早い時間は人が少ない分、多くの人が毎朝同じ動きをするということだ。多くの人が同じ席に座り、同じものを食べ、同じことをして、同じ時間に立ち上がって出ていく。いわゆるルーティーンが出来上がっている。

1週間もすれば、大体の人の動きが読めてくるだろう。あの人はそろそろ店を出るとか、あの人はこの時間にトイレに行くとか。正直、そんなルーティーンの中でカバンを放置したりするのは危険だなぁとかいう気もするのだが。まぁ早朝からカフェに行く人に、カバンを盗るような人はいないか。

人が少ないところ、干渉し合わない場では、多くの人が同じ動きをする。なんていうありきたりな話になってしまったのでもう少し何か情報を加えたいところだが、そろそろ「仕事に行く」という気の乗らないルーティーンをこなす必要があるので、今日はこのへんで。

ハチミツとインターネット

ハチミツ入りの離乳食で乳児が死亡した事件をきっかけに、大手レシピサイトのクックパッドに批判が集まった。

ハチミツには気をつけて

「離乳食 はちみつ」で検索すれば100件以上がヒットすると聞いて、試しに検索してみると、こんな注意書きが出た。

「1歳未満の乳児に蜂蜜(はちみつ)を与えることは、乳児ボツリヌス症感染の危険性があるため、避けましょう。」

この事件をきっかけに追加されたのだろう。危険性については僕は初耳だったが、どうやら母子手帳にも書いてある当然の内容だそうだ。離乳食を作るときは絶対に気をつけてほしい。

あとどうでもいいが、僕も朝はよくパンにハチミツをかけて食べている。幸い2歳以上なので平気である。

インターネットの情報が薄まった?

ところで、この一件を受けて書かれたこんなエントリーを見つけた。

このエントリーでは、インターネット上への投稿が増えたことで「低品質な情報の氾濫、金銭収入のために量産される投稿の氾濫」が起きていると語られている。

これは僕も最近強く感じている内容であり、すごくしっくりきた。昨年末のDeNAの件も、アメリカ大統領選の件も、どこかの無責任な人たちが書いた投稿に世間が踊らされていた。

いつからか、様々なWebサイト、とりわけブログ業界ではそんな状態が続いている。

低品質でも高評価を受けられる実態

今のWebでは、良いものを作ったら高い評価を受けるだとか、大きなリターンがあるだとかいう、一見当然のような仕組みが通用しない場合がある。

投稿した情報が寄せ集めでも、ありきたりでも、信憑性がなくても、少し知識があれば簡単に高い評価を受けられてしまう。

この問題に対してはGoogleも手を焼いているようだが、そもそものWeb広告の構造を見直すとか、情報提供者を適切に評価する仕組みを作るとか、大きな変化がないと難しいだろう。個人的には、近年流行りのAIがこの先なんとかしてくれると信じているのだが。

低品質な情報へのニーズ

一方で、上の記事で気にされているように「間違った情報やどうしようもない情報を受け取るニーズがある」のも事実である。多数派ではないにしても、このようなニーズは存在する。

しかし需要があれば供給があるのは当然、というのは違う気がする。低品質な情報であれば、供給しないほうが良いし、受け取らないほうが良い。そのニーズを持つ人だって、低品質であることを求めているわけではないだろう。ニーズを満たす、他の高品質な情報を探せばいい。

そのためにはやはり低品質に対し適切に低評価を与える必要があるし、逆もまた然りである。

誰でも気軽に投稿できるインターネット

想像にはなるが、きっと今回のハチミツレシピを書いている人は、単純に「美味しいレシピを書いたから皆に作ってほしい」という気持ちで書いたのだと思う。

危険だと知りながらレシピを上げるわけがないし、お金儲けのために適当な情報をかき集めて、わざわざハチミツ入りの離乳食のレシピを投稿するとは考えにくい。単純に知らずに間違えたのだ(たぶん)。

かといって、確かな知識を持った離乳食の専門家のレシピしか見れないようにする、なんてのもおかしな話である。インターネットの投稿は専門性が重視されつつあるが、逆に今まで専門性を持たない様々な人たちの投稿によって、あらゆる情報が満たされてきた。

高品質を求めるあまり、インターネットを専門性で狭めた窮屈なものにはしてほしくない。一般ユーザーが気軽に投稿できて、誰もが欲しい情報を安心して得られる世界が来ればいいな。この一件で、そんなことを考えさせられた。

電話野郎とLINE野郎の戦い

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やっと寒い冬が終わり、桜が満開になったと思ったら土日は雨という、空気を読まない気候にげんなりしている人も多いだろう。

申し訳程度に、金曜に見た桜の写真を貼ってみる。これで1人でも心癒されてくれれば御の字だ。この桜がこの記事の1番の見どころになるかもしれないが、どうしようもなく暇な人は続きを読んでみてほしい。

電話野郎への熱い思い

ところで、離れた人へ緊急ではない要件を伝えたいとき、あなたはどういう手段を取るだろうか。昔から連絡手段としては、手紙から始まり、電話、メール、LINEと時代によって変わってきたが、どれが正解というものはない。どれを選ぶのかは人によって様々だ。

そんな中、電話を選ぶ人への文句をぶちまけているエントリーを見つけた。ネット上でそこそこ話題になっているようだ。

不在着信だけ残すのといきなり電話してくるのは相手の時間と行動を拘束する行為だからやめてくれ

緊急時以外は、電話よりLINEにしてほしい

そこまで怒らなくてもいいのでは…という気もするが、書いてある内容には僕は概ね同意できる。つまり、今すぐの回答が不要であれば、電話ではなくLINEやメールで連絡してほしい。また、電話が繋がらなかったら、着信だけでなく要件を残しておいてほしい。

相手が、今すぐ声を聞きたいぐらい好きな人だとか、定期的に世間話をするような親しい間柄であれば別によいが、たまに会う普通の友達ぐらいならLINEにしてほしい。LINEなら返したいときに返事ができる。口頭で会話が必要であればその時に電話すればいい。

正直言って、僕はそれが普通の感覚だと思っていた。大体35歳以上の人なら過去の習慣から電話に執着するのもわかるが、さすがに学生時代からスマホを持っていたような人たちが、未だに電話に拘る理由はないと思っていた。

予想外に大量の反対意見

しかし、ブックマークのコメントを見ていると、反対意見の多いこと。論点がズレているコメントも多いが、それでも異常なほど批判されている。好みの問題もあるのはわかる。しかしそこまで批判される意見なのか?と、自分の感覚との違いに驚かされた。

繰り返しになるが、人の意見は人それぞれであり、誰が正解とか間違いとかいうものではない。だからこのブログで何を言おうが一個人の意見でしかないし、この件について熱く語る気もない。個人的にはLINEが嬉しいが、電話が来たら「あぁ、この人は電話派なのね」と思うだけだ。

誰も無理して変わる必要はないし、相手に合わせた方が円滑にコミュニケーションが取れそうと思うなら、無理しない範囲で合わせてあげればいい。人はそれぞれ、違う意見を持つことを、認め合えばいい。

ただ、このエントリーを見て、このように自分とは意見が異なる人が山ほどいることを理解しておくことは大切であるように感じた。今は既にインターネットで誰もがつながる時代であり、そしていずれ国境も意識しない時代が来るだろう。生まれも育ちも文化すら異なる相手とコミュニケーションが必要になったとき、この考え方は今よりきっと大切になってくるはずだ。

 

人生、なんとかなるもんらしいです

先日、タクシーに乗った。そこそこ長距離で、時間にすれば1時間ぐらいだ。その時に聞いたタクシー運転手の話が興味深かったので、ここで共有してみる。人生に疲れた人には、参考にできる所があるかもしれない。

陽気に話しかけるタクシー運転手

仕事帰り、僕はプライベートでは滅多に使わないタクシーに乗った。「お仕事ですか?」と、スーツ姿の僕に間違えようのない質問が飛んでくる。喋るタイプの運転手か…と、疲れていた僕は少しげんなりしたのだが、冷たくするのも気を遣うので適当に相槌を打っていた。

話の流れで、その運転手は過去に不動産の営業をしていたことがわかった。「なんで転職したんですか?」と聞くと、少し予想外の答えが返ってきた。「株でやってしまいましてね…借金を返すためにいろんな仕事をやってきたんです。」

1億4000万の借金を持つ男

まぁでも借金を持つ人程度ならこの世の中に山ほどいるだろう。損切りできなければ数百万円レベルの借金も簡単に作れる時代だ。興味本位で「借金って結構な額だったんですか?」と聞くと、「驚かせちゃうかもしれませんけど…大体1億4000万ぐらいです。」と言う。まさかの額である。

しかも「でもやっと先日、全部返し終わりましたよ〜。はっはっは」などと笑っている。1人のオッサンが、1億4000万の借金を返せるものなのか?信じがたい話だったが、話し方からも嘘とは思いにくいし、嘘をつくメリットもない。本当なのだろう。

内容は聞かずとも壮絶な人生だったことは想像に容易いが、僕は逆に興味が湧いてきた。どんな仕事をしたらそんなに稼げるものなのか?

借金を返すまでの壮絶人生

彼は、「人殺し以外は何でもやりましたよ。」と言う。なかなか日常生活では聞けないセリフだ。具体例としては「アダルトDVDのダビングと販売」などと言っていたが、他にも色々言えないことをやっていたようだった。ヤクザと交渉したこともあるとのこと。僕は深くは聞かないようにした。

しかし借金を返し終わるまでは絶望ばかりだったという。何度も本気で死のうと思ったと。東尋坊で靴を脱ぐところまで行ったと。それでもやはり死ぬのは怖かった。どんなにつらくても、命は惜しかった。しみじみとそう言っていた。

その話の終わりに、「でも本気で頑張れば、なんとかなるもんですね。」と彼は言った。彼とは初めて会ったし、もう会うこともないと思うが、今までこのセリフを言った人の中で1番説得力があると思った。

人生、なんとかなるもんですって

彼は今、タクシードライバーとして普通の人生を送っているという。安定していて、自分のペースで仕事ができて、頑張ればそこそこ給料もいいらしい。他にもいろいろ話を聞いたが、蛇足になるのでここに書くのはやめておく。

僕は彼のような波乱万丈の人生は送るつもりはない。でも今絶望の淵に立っている人にとっては、この運転手のような人生を歩んだ人の体験談は、少しは心の支えになったりするのかもしれない。そう思って書いてみた。人生、なんとかなるもんらしいです。

他人の恋路は面白い

Twitterを眺めていると「ブログのアクセス数を上げたいなら、個人の日記なんて書くな」といったアドバイスをするツイートが目についた。確かにこれは一理ある。個人の日記なんかより、最新ニュースや役立ち記事なんかを書いたほうが多くの人が興味を持ってくれるだろう。

それでも僕は言いたい。ブロガーはもっともっと個人を出していいんじゃないかと。それこそが個人ブロガーの強みなんじゃないのかと。

知らないおっさんの切ない恋路

この2つのエントリーを読んでみてほしい。

弁当おっさんが恋をした
弁当おっさんの恋のその後

読んでみてどう思っただろうか。人によって感想は様々だろう。投稿されているコメントには、応援や励ましもあればバカにするコメントもある。その数、合計1000以上だ。

正直言ってこの内容に対しネガティブなコメントを書き込む人の神経がわからないが、少なくとも彼らの心に「コメントしたい」と思わせるほどの揺さぶりを与えたのは事実である。

僕はこの2記事にいい意味で心揺さぶられた。ほんの数分ではあるが、35歳のおっさんの恋路に夢中になった。ドラマや映画にはない、リアルな人生がそこにはあるということが、感動を誘うのかもしれない。

心揺さぶる日記はある

普通は個人の日記をただ読まされても、大抵は面白くないだろう。しかし、このように感動を与えるものもあるのだ。読ませるような書き方になっているから、というのもあるだろうし、人間共通のテーマである「恋愛」を描いているから、というのも理由の1つだろう。

つまりは書き方や内容次第で、日記も十分に面白くなる。「個人の日記はつまらない」と一括りにしてしまうのはあまりに雑ではないだろうか。現状、日記では検索からのアクセス数が見込めないのは事実だろうし、アフィリエイトで儲けているブロガーにとっては日記など切り捨てるジャンルだろう。

それでも僕は、それぞれの人生で日々起きているドラマが伝わるような日記を読みたい。誰かの人生が、他人の心を揺さぶることができるって、なんか素敵だなと思うのだ。身バレは気になるかもしれないけれど。

インターネットでイライラしてしまうあなたに

つい10年ほど前までは、「リアル」と「ネット」はよく対比されていた。「リアル」とは実生活であり、「ネット」はインターネット上のブログや掲示板などでのコミュニケーションを指すイメージが強かった。

それらが対比されていたのは、リアルからは一線を引いた世界がネット上に存在し、リアルしか知らない一般人にとってそれが面白かったからだろう。「2ちゃんねる」での書き込みをネタにした話題も、頻繁にニュースやメディアで取り上げられていた。

しかし最近はそんなこともなくなってきている。「リアル」という言葉自体、あまり聞かなくなった。リアルとネットの関係に変化が生じたからだ。これは、スマホの普及が1番の要因だと思う。

スマホの普及がインターネットの世界を変えた

以前は、インターネットに接続するには、前提としてPCが必要で、家に帰ってPCを起動する必要があった。対して今は、スマホさえあればどこでも簡単に接続でき、LINEもTwitterもInstagramもできてしまう。ネットは日常に溶け込み、リアルとの境目はほぼ消え去りつつある。

この変化は面白くて、インターネットの雰囲気を大きく変えた。元々はリアルとネットが明確に分かれていたためか、リアルで満足できない冴えない人たちがネットを楽しんでいる印象があり、実際それは否定できなかったように思う。「ネット=オタク」というイメージが拭えなかった。それがスマホによって一気に変わった。

僕はネットの冴えないイメージが好きではなかったので、スマホ普及による一般人のネットへの流入は嬉しかった。オタクでも技術者でもない、いわゆる「普通の人たち」が、日常でネットを使うようになったことで、インターネットがより一般的なものになった。

しかし、それと同時に大きな問題が起きていると思う。

モラルのない人間が増えたインターネット

例えば、あなたはネットで何かを読んでいてイラッとしたことはないだろうか。Twitter、ブログ、何でもいいが、「何なんだよコイツ…どうかしてるよ…」と思ってしまうような書き込みが増えたようには思わないだろうか。

元からそんな書き込みはある程度あったが、僕は増えたように感じている。最近で特に思ったのは、スーパーマリオランの課金体系に対しての怒りの書き込みである。「無料ステージが少ない」と星1つのレビューをつける人の多さよ。もうね、アホかと。1200円出して買ってからレビューせいと。

ブログなどに対するコメントも、とても大の大人が書くとは思えない幼稚な内容を多々見かける。シネだのツマランだの一言コメント残すだけじゃ、何も変わらないし何も生まない。どうせ手を動かすなら、自分の意見を書けば何か伝わるのに、不快感しか生まない言葉を書き連ねる。

インターネットの世界を快適に過ごすために

その変化の大きな原因は、低年齢層がネットを利用し始めたことだろう。10代の子供たちでも、余裕でインターネットを使える環境になったのだ。今や世帯では7割以上がスマホを持つらしい(2010年は1割)。小学生ですら6割近くが情報端末を持つという。

もちろん子供が皆モラルがないわけではないが、自分の小中高の学生時代を思い出してほしい。善悪の区別もつかず、モラルのない子供は山ほどいただろう。悪びれもせず先生に頭突きかましてたアイツが、スマホでTwitterやってると思えば、そりゃくだらない書き込みするのも当然だと思える。

インターネット上では、パッと見年齢がわからない。書き込んだ人の年齢がわからないと、つい自然と大人が書いたもの思って読んでしまう。そのイメージを直せば、もう少しインターネットは快適に過ごせるのではないかと思うのだ。「相手は幼い子供なのかもしれない」という思いを心の片隅に持っておくこと。それだけで少し世界を見る目が変わるだろう。

リアルと同化したインターネットを、これからもより楽しむために、そんなことを少し意識してみるといいかもしれない。中にはどうしようもない大人もいるだろうけど、それは知らん。

プレミアムフライデーから逃げるな

今日は2度目のプレミアムフライデーである。心を失った社畜共は「プレミアムフライデー?何それ?」などと会社への忠誠心をひけらかす。「仕事溜まってるのに帰れるわけねぇじゃん」などと文句を言う。

心が荒んでいる人間は文句しか言えないものだ。全くもって嘆かわしい。もう少し余裕を持った生き方ができないのかと。そんなに文句ばっかり言ってて人生楽しいのかと。そんな人たちで溢れているこの国が残念で仕方ない。僕なら笑顔でこう言ってやるね。「プレミアムフライデーなんかクソ喰らえ」と。

週休2日じゃ休めないよ

というのは冗談で、僕はプレミアムフライデーをすごく良い取り組みだと思っている。個人的には、月末金曜などとケチなことを言わず、今すぐにでも毎週、週休3日にすべきだと本気で考えている。

今のところYahoo!を始めまだ数社しか週休3日制を検討していないようだが、働く日と休む日の比率が5:2というのはバランスが悪すぎる。毎日定時帰りなら週休2日でも満足できるが、毎日残業で疲れたサラリーマンにとって2日では少し足りない。

もちろんいきなり週休3日にしても業務が追いつかないのは目に見えているが、将来的には実現できないことはないはずだ。

プレミアムフライデーは週休3日への布石になる

だからこそプレミアムフライデーは、その足がかりとなる素晴らしい政策だと思うのだ。なにせ国が推奨していることだ。クールビズもそうだったが、国の政策となると誰もが納得するから、胸を張って実践できる。しばらくすればほとんどの会社が導入するだろう。これに取り組んでいるかどうかで、社のイメージも変わってくる。

そしてそのうちAIがいろいろ仕事をこなせるようになってきたとき、人間の作業が減り、プレミアムフライデーなんてもう休みでよくねー?なんて話になり、休みが隔週になり、最終的には毎週休みになるのだろう(本当の最終という意味ではベーシックインカムなのだろうけど、それは僕の働いている内の実現は難しい気がする)。

学校だって以前は土曜も登校させられていたが、それが隔週になり、今ではすっかり休日である。土曜は昔から休みだと思っている諸君は幸せ者である。僕の地域は土曜日はAMだけ授業を受け、昼食は牛乳だけ出るからそれを飲んで帰ってた気がする。今思えばすごく中途半端だったなぁ。

何かが変わるとき、一定の人は反発するもの

社会に出てから強く思い知ったが、古くからの慣習やシステムを変えるとき、必ずある程度の人が反発する。目につきやすいデメリットを主張して、「変えられるわけがない!」と声を上げる。そこそこ経験を積んだ人は誰でもこれを理解している。

メリットが大きければ、そのうち誰もが受け入れ出すのである。文句を言うのは大抵最初だけなのだ。プレミアムフライデーは、この初期段階なので、完全に受け入れられるにはしばらく時間がかかるだろう。導入に向けて、会社や業界それぞれで課題もあるだろう。でもこれが社会に浸透することが、誰もが堂々と週に3日休むことができる社会に繋がると信じている。

そんな思いとは裏腹に、僕の今日のスケジュールには、18時までしっかり打ち合わせが入っているけれど。全くもって嘆かわしい。強引に帰ったろかな。